2015年02月01日

本当にこの曲、当時の踊り場、ディスコで流行ったのかな? 「ディスコお富さん」



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ライヴの為に来日してたアメリカのファンクバンド、エボニー・ウェッブに1977年末、日本のレコード会社が日本語で歌わせ、空前のディスコブームに突入した1978年、日本のディスコでも大人気になったと伝わってますが、本当にディスコで人気だったかどうか?当サイト運営者は、懐疑的であります。

「Disco お富さん・ DISCO OTOMISAN」は、当時の何かのディスコダンスコンテストで、この曲を使って何処かの誰かが優勝した事で有名になった曲で、少なくとも当サイト運営者は当時「それで」この曲を知ったので、当時のディスコでこの曲を聴いて知ったわけではありません。

まあ、ならば無視してれば良いのですが、ネット上ではこの曲は当時のディスコで流行った事になってるので、一応、リアルタイム経験者としては、その情報に懐疑的な情報を流す為に(笑)あえてアップしました。

当サイトでも再三再四触れておりますが、1970年代前半は、あまり日本ではR&B、ニューソウル、ニューファンクというのは、アメリカと違いムーブメントとして爆発しておらず、アンダーグラウンドの踊り場だけで人気だったのですが、70年代半ばから後半、欧州圏のディスコサウンドが日本でも人気になりだしてから状況が一変。

ロックファンやミュージッシャン達、或いは日本のレコード会社は、このディスコブームやディスコサウンド、又、そこで遊んでるコ達を「なめてた」「おちょくってた」「バカにしてた」所もなきにしもあらずで、欧州圏から輸入するだけではなく、自社で作ったディスコサウンドをディスコで使わせ流行らせ!一儲けしようと目論んだ「ディスコなんとか」ってな曲は、相当!発売されておりました。





が、その殆どは商業的に惨敗しており、今やその曲を語る人も殆どおりませんし、こちら「Disco お富さん・ DISCO OTOMISAN」も、そういう話題性がなかったら、他の今や誰も知らない和製ディスコサウンドと同じで、実際は誰も知らなかった曲だったのではなかったか?と当サイト運営者は思ってるほど、自分の周りでこのレコードを持っていた人間は一人もおらず、又、この曲で踊った、この曲が懐かしい、この曲は何処何処のディスコでよくかかってたという証言を聞いた事も、今の今迄!一度もありません。

本当に「Disco お富さん・ DISCO OTOMISAN」て、当時のディスコで流行ったのかな〜?、、、当サイト運営者はとても!懐疑的です。

勿論、エボニー・ウエップは呼ばれたからギャラをもらって「仕事」をしただけでしょうから、彼等に罪はありませんし、原曲は春日八郎氏が1954年に発表した、当時流行りのブギウギのリズムを導入した歌謡芸能の世界の不朽の名曲だという事も、付け加えておきます。

エボニー・ウエップの横文字の曲が↓こちらですが、普通にファンキーミュージックですが、彼等やこの曲が売れたという記憶も記録も、当サイト運営者はありませぬ(汗)。


posted by 麻呂 at 00:00| 和もの 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月31日

「アイ・キャント・ハヴ・ユー」(If I Can't Have You)のイヴォンヌ・エリマンは、エリック・クラプトンのバックコーラスをやってた女性



50代、やりがいのある仕事で独立<アントレnet>




世界的な空前のディスコブームを巻き起こすきっかけになった、1977年の映画「サタディ・ナイト・フィーヴァー」(日本公開は1978年)のサウンドトラックに収録されていた、こちらビージーズが曲を提供したイヴォンヌ・エリマンの「アイ・キャント・ハヴ・ユー」(If I Can't Have You)は、1978年シングルカットされ、ディスコブーム真っ盛りに全米ビルボードチャート1位を獲得。

この時代にディスコ通いされてた方には、ビージーズの一連のヒット曲同様、とても馴染みのある懐かしい曲だと思われます。

で!このイヴォンヌ・エリマン、この数年前にエリック・クラプトンが同じく全米1位を獲得した(自身初)、ボブ・マーリーのカヴァー「アイ・ショット・ザ・シェリフ」のコーラスに参加していた方で、その顔立ちでもわかる通り、日系人の母親とアイルランド系アメリカ人の間にハワイで生まれてるアメリカ人。





学生時代のハワイでの音楽活動を経て、ジミ・ヘンドリックスやストレイ・キャッツ同様、アメリカ本土ではなく何故か?イヴォンヌ・エリマンはイギリスに渡っており、ミュージカル「ジーザス・クライスト・スーパースター」に出演後、イギリス人のエリック・クラプトンのバックコーラスに参加。約5年間、クラプトンバンドでバックコーラス(彼女のソロコーナーもクラプトンのライブはあった)をつとめつつ、ソロ活動も行い、ソロレコードもビルボードチャートトップ20入りは果たしていました。

まあ、そんなこんなで「アイ・キャント・ハヴ・ユー」(If I Can't Have You)で、目出たく!ソロ歌手としてもイヴォンヌ・エリマンは全米ビルボードチャート1位を獲得したわけですが、曲を提供したギブ三兄弟も元はエリック・クラプトン同様イギリス人。

若きイヴォンヌ・エリマンが、ハワイからアメリカ本土ではなくイギリスに渡ったのは、このアメリカ凱旋を思うと、間違いなく!正解だったと言えますね♪。

posted by 麻呂 at 00:00| アメリカ ファンク R&B | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月30日

オリビア・ニュートン・ジョンの「ザナドゥ」(Xanadu)も、ディスコブームの真っただ中の1980年、ディスコで人気だった









正に!空前のディスコブームの真っ最中!1980年、オリビア・ニュートン・ジョンが放ったディスコヒット!「ザナドゥ」(Xanadu)。

当サイト運営者の個人的感覚では、1970年代、外人女性シンガーで、老若男女を問わず!日本で最も知名度が高かったのは、カーペンターズのカレン・カーペンターとオリビア・ニュートン・ジョンだったと思いますが、その人気のピークは1975年の「そよ風の誘惑」から1981年の「フィジカル」で、こちら「ザナドゥ」(Xanadu)は、世界的な空前のディスコブームを巻き起こすきっかけになった映画「サタディ・ナイト・フィーバー」に主演したジョン・トラボルタとの競演映画、日本でもそこそこヒットした1978年の映画「グリース」に続く、彼女の主演映画の主題歌。

映画「ザナドゥ」は古のミュージカルスター!ジーン・ケリーとの競演、ザ・ビートルズファン、ブリティッシュロックファンにはお馴染み!ジェフ・リンのエレクトリック・ライト・オーケストラ(ELO)が音楽担当と、話題性は抜群だったのですが、「グリース」と違い興行的には映画は不発でしたが、彼女歌う楽曲は大ヒット!(全米ビルボードチャート最高位8位)。

折からのディスコブームの最中、あまり「踊れる曲」とは今も当時も当サイト運営者は思えないのですが(笑)、日本のディスコでも大人気だった曲で、わりと近年、ソフトバンクモバイル「ホワイトプラン」のCMソングに使われていたので、リアルタイムを知らない若い世代も、聴き覚えがあるのではないか?と思います。

posted by 麻呂 at 00:00| ETC ロック&ポップス系 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
ぴかぴか(新しい)こちらもおススメでするんるん