2015年02月04日

日本人には誉れ!テイスト・オブ・ハニーの「スキヤキ」=坂本九「上を向いて歩こう」 A Taste of Honey SUKIYAKI



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空前のディスコブーム期に「今夜はブギ・ウギ・ウギ」を全米ビルボードチャート1位に輝かせ、日本のディスコでも人気になり、一般洋楽ファンの間でも一躍注目されたテイスト・オブ・ハニーは、ディスコブーム期に「当てた」グループなのに!一発屋で終らなかった(笑)。

1980年前後の世界的な空前のディスコブームは、今も昔も賛否両論ありますし、こてこてのハードロック、ヘビーメタルファンだった方、そこにいる「人種」その場、そこで使われる音楽に嫌悪感を抱いていた方には、何の思い入れもないでしょうが、音楽で国籍、人種、肌の色を超越するという崇高な理念を考えると、このディスコブーム時代は、北米アフリカンアメリカン、北米白人、プロデューサー含む欧州圏の白人、アフリカ、中南米、そして日本と、正に!国籍も人種も肌の色も関係なく、そこに居る人達は音楽を楽しみ、喜んで踊りまくってたわけですから、凄いもんだったと、当サイト運営者は思うわけであります。

肌の色の黒い北米の女性二人のテイスト・オブ・ハニーは、日本人は肌の色に関係なく、言葉も通じないのに、自分達をエンターティナーとしてみて扱ってくれると、親日的な事を言っていたそうで、このへんは、ほぼ黄色人種の国の日本人に、人種のるつぼのアメリカ人、それもアフリカンアメリカンの「心」というのは、なかなか!わかりずらいものだと思いますし、踊り場、ディスコの曲は北米アフリカンアメリカンもの以外、全て!偽物、フェイク。北米アフリカンアメリカンものしか認めない的な、逆差別好きなR&B、ソウル、ファンク贔屓も、日本には多々いるのですが、テイスト・オブ・ハニーにはわからなかったのでしょう(汗)。





てなわけで、こちら日本が誇る!日本人唯一の!全米ビルボード1位獲得者、坂本九氏の「スキヤキ」=「上を向いて歩こう」をテイスト・オブ・ハニーがカヴァーしヒットさせたのは、アメリカではディスコブームが終焉しかけた(日本では未だ未だ!続くが)1981年。この曲は全米ビルボードチャート最高位3位を記録する、大ヒットになりました。

まあ、永六輔氏の詞は、そもそも英語で歌っておりますし、内容も大幅に変えられたテイスト・オブ・ハニーオリジナルですが、アレンジはかわっていても作曲:中村八大氏(笑点のテーマ曲の作曲者でもあると言えば、殆どの日本人ならわかる筈)は燦然と!輝いてるわけですから、これは日本人には誉れでありまする♪。




posted by 麻呂 at 00:00| テイスト・オブ・ハニー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月03日

昨今のフィットネスの先駆けだった オリビア・ニュートン・ジョンの「フィジカル」(Physical)





空前のディスコブームが、アメリカではピークから終焉に向かいだした1981年(日本では未だ続きましたが)。1970年代半ばから日本でもアメリカでも(世界でも)人気絶頂だったオリビア・ニュートン・ジョンが放った「フィジカル」(Physical)。

「フィジカル」(Physical)は、全米ビルボードチャート連続10週1位という大記録を樹立。イギリス生まれのオーストラリア育ちのオリビア・ニュートン・ジョンは、実はかなり下積みの長かった女性で、アメリカに移住しヒット曲を連発し、日本はじめ世界の人気者になった70年代半ばから後半が、矢沢永吉氏の言葉を借りれば彼女がビッグになった時期で、「フィジカル」(Physical)でグレイトになったと言える記念すべき曲でした。

今でこそフィットネスはブームではなく日常、若者は勿論、初老中高年も自分の健康管理が「当たり前」の日本ですが、当時フィットネスは未だ相当!新しいムーブメントであり、この2年後に映画「フラッシュダンス」以降、日本でもジャズダンスがブームになりましたし、ジョギングがちらほら流行だした頃ですから、「フィジカル」(Physical)はテーマもPVも、かなり新しかったと、リアルタイムを知らない今の若い方にはわかっていただきたいと思います。

ベトナム戦争を終結させた(アメリカの敗北)ニクソン以降、同じ共和党のフォード、そして民主党のカーターと70年代のアメリカは大統領が変わったわけですが、70年代のアメリカは泥沼化したベトナム戦争の後遺症で、経済も国民の気持ちも疲弊しており、第二次世界大戦の勝利国になった1945年以降、「強くて豊かな国アメリカ」というイメージが崩壊しかかってた時代で(2015年現在の失墜したアメリカのイメージよりは、未だ!マシだったが)、共和党のロナルド・レーガンが1981年に大統領に就任してから、レーガンは「強いアメリカ」の復活を旗頭にし、アメリカもなんとなーく、70年代のネガティブな気分から脱却しつつあったのが、こちら「フィジカル」(Physical)が大ヒットした時代背景。





で、レーガンが必ずしも良い大統領だったとは、アメリカにとっても日本にとっても言い切れませんが(汗)、レーガンによってアメリカの「空気」が変わったのは否めない歴史でしょう(勿論、85年のプラザ合意含め、日本経済も大影響を受けてますが)。

まあ、アメリカ人の肥満は今も何も変わってませんが、当時、アメリカ人の肥満は、ちょっとしたアメリカの社会問題で、既に三十路を越えた(32才)オリビア・ニュートン・ジョンの「フィジカル」(Physical)のPV、レオタード姿&テニスルック姿の若々しく瑞々しく、そして躍動感のある肌、スタイル、顔は「事件」だったのであります。

幸い当時の日本の若者達は、サーフィン&サーファーブームの真っ盛りであり、又、テニス、スキー等も若者達に人気だったので、団塊の世代以上の既に「大人」だった層に比べると、あまり若者達に肥満はおらず(例外は何時の時代もありますが。笑)、そのブームはパルコや赤いカードを発行しだした丸井の営業戦略の一貫だったにしても、男連中は「女にもてたい」からそれに乗ってたにしても(笑)、若者達はわりとスポーティーだったので、こちら「フィジカル」(Physical)は日本でもドンズバでハマった曲だったわけであります。





posted by 麻呂 at 00:00| ETC ロック&ポップス系 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月02日

空前のディスコブームの1980年、イギリスのノーランズは爆発的に!日本で売れていた



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当サイトで繰り返しほざいてるように、1980年前後の空前のディスコブームの頃、実はそれ以前の北米のR&B、ニューソウル、ニューファンクのシンガー、グループは「軒を貸して母屋をとられる」ではないですが、そのブームの恩恵はあまりうけておらず、欧州圏のグループが実態は主役だったわけで、こちらイギリス出身の姉妹グループ、ノーランズもそんなグループの1つ。

特に!日本ではもの凄い人気であり!こちらシングル「恋のハッピー・デート」収録アルバムは、なんと!オリコンの洋楽では初めてシングル、LP、カセットの三冠王を記録したグループなのであります。

断言しますが!1980年前後当時のディスコブームって、一般的にはこれなんです(笑)、、、。

まあ、北米のアフリカンアメリカン、ジャクソン5、ポインターシスターズ、シスタースレッジ。白人のオズモンズ、日本のフィンガー5と同じ、兄弟姉妹グループのイギリス版と思えばノーランズはよいわけで、別にノーランズの肩をもつわけじゃないですが、北米のアフリカンアメリカンの「家族の絆」の兄弟姉妹グループは認めるけど、白人のそれは認めないという、R&B、ソウル、ファンクファン独特の、ある種の「逆差別」は、当サイト運営者はあまり好きではないです。

音楽はパーソナルなものですから、それの好き嫌いは人によってあって当然ですが、商売、仕事としてやってる事は、そーんなに肌の色や国籍が違っても、何処も変わってなかったと思いますし、、、。

ちなみに1980年には石野真子さんがこちら「恋のハッピー・デート」をカヴァーし、1981年、日本の東京音楽祭の金賞受賞曲の「セクシー・ミュージック」を、何故か?1990年と時間が経過してから、Winkがカヴァーし大ヒットさせたのは、2015年現在、50才前後の方なら、記憶にある事だと思います。

まあ、てなわけで、ノーランズはとても!日本人ウケする女性グループだったわけであります。



posted by 麻呂 at 00:00| ETC ロック&ポップス系 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
ぴかぴか(新しい)こちらもおススメでするんるん