2015年02月23日

アース・ウインド&ファイアーの人気が没落した時期、とても流行ったフィリップ・ベイリーの「イージーラバー」(Easy Lover)



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80年代ものですが、こちらアース・ウインド&ファイアーのフィリップ・ベイリーとフィル・コリンズの「イージーラバー」(Easy Lover)が発表され人気曲になった1984年頃は、既にアメリカでは1980年前後の空前のディスコブームは下火になっており(日本では未だ未だ続きますが)、アース・ウインド&ファイアーも、1981年の「レッツ・グルーヴ」のディスコヒットが収録されてるアルバム「天空の女神」以降、これ!と言ったヒット曲の出なくなっていた時期とリンクしてるんですね。

1983年のアルバム「創世記」は、アースファンを当時完全に支えていた「ディスコのコ」達が喜ぶディスコヒットは生まれず、アルバムの売りあげも不調(アメリカでも)。

そして「アースファンを当時完全に支えていた「ディスコのコ」達」が喜ぶと、きっとモーリス・ホワイトは思ったのでしょうね。時代はテクノ!テクノブームも一段落して、それが「当たり前」になりつつあったので、モーリス・ホワイトは何と!、アース自慢の!アースの売りでもあったホーン・セクション(フェニックス・ホーンズ)と決別。

が、エレクトリック・サウンド導入=テクノサウンドのダンス・ミュージックに変貌するアルバム「エレクトリック・ユニヴァース」を1983年に発表するも、これが見事にコケるんですね(汗)。

アルバム「創世記」からは、前作の「天空の女神」収録の「レッツ・グルーヴ」のようなディスコヒットは生まれず、アルバムの売り上げも不調だったので、モーリス・ホワイトはアースの「テクノ化」で一発逆転を狙ったのでしょう。でも、その目論みは見事に外れ、「エレクトリック・ユニヴァース」は全米ビルボードアルバムチャート最高位40位という、それまでのアースでは考えられない惨敗をくらい、ここでアースは活動を一時停止してしまうんですね。

まあ、1982年、「ナイト・バーズ」が日本で大ヒットしたイギリスのシャカタクが、1984年頃から完全にダンス・ミュージックに方向性がかわっていき、それまでのシャカタクを支えていた所謂フュージョンファンからの支持を失いつつも、日本のディスコブームは未だ未だ続いておりましたし、女性ボーカルをフューチャーしたシャカタクのダンスミュージックは「洒落た」感じもあったので、後にバブルと言われる時代に一直線の時期、それなりの需要が日本ではあったのに対し、アースは大失敗してるのは、とても対照的な感を、当時も今も、当サイト運営者はうけます。





まあ、1980年代後半以降の日本や欧州のディスコシーンは、所謂「ユーロビート」専門になり、それ以前のR&B、ソウル、ファンク系と、完全に「ディスコ」で使われるサウンドがかわってしまった、この時期は分岐点だったとも言えるわけです。

そんな「テクノ化の失敗」のアース・ウインド&ファイアーが、一時活動停止になるほど人気が奈落の底に落ちた1984年、アースの人気シンガー、フィリップ・ベイリーとジェネシスのドラマー&シンガー、フィル・コリンズが放ったヒットが、こちら「イージー・ラバー」(Easy Lover)。

この曲はベイリーとコリンズと共に、レコーディングに参加したベーシストのネイザン・イーストの競作で、彼はエリック・クラプトンのサポートでも有名なのでロックファンにも幅広く知られておりますし、又、フュージョンファンにも、ボブ・ジェームス、リー・リトナー、ハービー・メイソンとのグループ「フォープレイ」(ギターはラリー・カールトン、チャック・ローブとかわってます)のメンバーとしても知られているベーシストですね。

posted by 麻呂 at 18:53| アースウィンド&ファイアー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月11日

1970年代半ば頃迄に、本当に踊り場で遊んでた人しか今や知らない、ザ・テンプテーションズの「スーパースター」









1970年代中期頃まで、わりと踊り場で不良少年やズベ公に人気だった、ザ・テンプテーションズの「スーパースター」(Superstar (Remember How You Got Where You Are)。

基本この曲はフリーですが、ちょっと独特なステップがあったので、古のダンクライベントで、2015年現在、この曲で「そのステップ通りに」踊ってる初老中高年の方がおりましたら、その方は若き頃、相当な!真性「不良」だったと思って、若い方は間違いないです(笑)。

この曲は1971年に発表された曲で、この頃からザ・テンプテーションズはもータウン・レコードのノーマン・ホィットフィールドが提唱するサイケデリック・ソウルの、悪く言えば実験台になっていた所があり、「マイガール」のザ・テンプテーションズのファンの方々には、ちょっとその変革ぶりは驚きに値する時期であったと思われます。

まあ、古の踊り場ファンの方にはお馴染み!マーヴィン・ゲイの「悲しい噂」、エドウィン・スターの「黒い戦争 」等もノーマン・ホィットフィールドの手がけた作品で、ザ・テンプテーションズが、こちら「スーパースター」(Superstar (Remember How You Got Where You Are)と同時期に発表した、1971年の全米ビルボートチャート1位を獲得の「ジャスト・マイ・イマジネイション」は、この後、ザ・ローリング・ストーンズにカヴァーされていたので、ちょっとしたロックファンにもお馴染みだと思いますし、又、この翌年発表された、こちらも全米ビルボードチャートで1位に輝いた「パパ・ワズ・ア・ローリン・ストーン」は、ノーマン・ホィットフィールドのサイケデリック・ソウルの集大成だったと思われます。





こちら「スーパースター」(Superstar (Remember How You Got Where You Are)は、未だ未だアンダーグラウンドの世界、見渡せば非行少年とズベ公ばかりだった当時の踊り場で、とても人気が高かった曲でしたが、1970年代も半ばになると、新しいディスコサウンドが沢山でてきたので、DJさんもナウな新曲を使わないといけないですし、時間的制約もあり、それ以前の踊り場で人気だった曲は、徐々にカットされる傾向にあったので、こちら「スーパースター」(Superstar (Remember How You Got Where You Are)も、1980年前後の空前のディスコブームの頃は、完全に忘れ去られてしまいましたが、当時、別にアメリカでもそれほど大ヒットしたわけでもないこの曲を、踊り場で使ってたDJさん達のセンスには、当サイト運営者、今も脱帽いたします。

なんたって!、、、♪すーぱーすたー ぐっごー ですよ?(笑)。♪ぐっごー と言えば!ジェームス・ブラウン。ジェームス・ブラウンの「セックス・マシーン」や「スーパー・バッド」と共に、この曲は1970年代半ばまで、踊り場でとても!人気が高かったのです。

posted by 麻呂 at 17:05| テンプテーションズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月04日

空前のディスコブーム真っ盛りの全米1位ソング、プレイヤーの「ベイビー・カム・バック」(Baby Come Back)









1970年代初頭のニューソウル、ニューファンクの影響でしょう。パーカッションのリズミカルでグルーヴィーなリズムに、流麗なメロディ&ハーモニーの楽曲。アメリカンバンド伝統のサビの総ハーモ二ー、印象的なせつないギターメロに、当時、流行りのキーボードサウンドで全体を包み込んだ、素晴らしいバラード、名曲でございます。

1978年1月に全米1位を獲得。アメリカで映画「サタディナイトフィーバー」が上映され、遂に!既にディスコは国内外で60年代後半から静かな、そして日々支持者が増える(主に不良、とっぽい遊び人中心でしたが)着実なブームを、ずーっと続けていたわけですが、これにて一般的にも大ブレイク!空前の大ブームになるわけで、日本でも同年夏、公開され大ヒット。80年前後から90年代初頭のジュリアナ東京まで、ディスコブームが続くわけですが、「ベイビーカムバック」(Baby Come Back)はそんな時代背景の中、日本でも大ヒットしました。

2011年今現在、50代後半前半で昔の洋楽ポップスファンの方なら誰もが御存知のオリジナルキャストの「ミスターマンディ」、日本のザ・テンプターズ(萩原健一氏の居たバンド)のデビューシングル曲B面収録の「今日を生きよう」の原曲、オリジナルグループのグラスルーツ、そしてモータウン移籍後のフォートップス等を手がけたデニス・ランバート。

そのデニス・ランバートが設立したレコード会社から、このプレイヤーのヒット曲は生まれており、とてもポップでされどソウルフルな味わいのこちら「ベイビーカムバック」(Baby Come Back)の素晴らしい仕上がりは、デニス・ランバートの経歴を調べると、それは当然の成り行きだったんだなと、感心する次第でございます(勿論、バンドメンバーの秀逸な才能も含め)。



posted by 麻呂 at 00:00| ETC ロック&ポップス系 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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