2015年01月27日

ルーファス・トーマス/ファンキー・チキン(Do the Funky Chicken)



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ルーファス・トーマスが1970年に発表した「ファンキー・チキン」(Do the Funky Chicken)は、この曲専門の独特のステップがあり、1973~74年頃迄、踊り場で曲もステップも人気だった曲。

昨今のダンクラシーンは当然ですが、中高年層が中心ですので、まあ、こちらのステップはちょーっと中高年層には「心臓に悪い」(汗)、かーなりハードなステップですし、踊り場、ディスコは基本的に大ブレイクしたのは1980年前後の世界的な空前のディスコブームで、又、そこに向かう1975年頃からが中心ですので、「ファンキー・チキン」(Do the Funky Chicken)は、この時期には、あまり踊り場、ディスコで使われなくなっていたので、ダンククラシーンの最大公約数の世代には馴染みのない曲という事もあり、知名度は低いですね。

唯、2015年現在、57才〜還暦ぐらいの当時の踊り場に通ってた、R&B、特にスタックス系に愛着のある方には、とても懐かしい曲だと思います。

また、ルーファス・トーマスが1963年に発表した「ウォーキング・ザ・ドック」は、ザ・ローリング・ストーンズがカヴァーしているので、コアなストーンズ、ロックファンにも、馴染みのあるミュージッシャンだと思われます。

posted by 麻呂 at 00:00| アメリカ ファンク R&B | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月20日

Pファンクは70年代の踊り場、空前のディスコブームの80年前後、必ずしもそこで受け入れられてなかった





ジェームス・ブラウンのナンバーでも、とても人気が高く、又、ファンクという音楽の歴史の中でも重要なナンバーの、1970年代初頭の「セックス・マシーン」「スーパーバッド」「ソウル・パワー」などでベースを弾いていたブーツィー・コリンズを知らず、ファンク、ソウルミュージックを語るのは「もぐり」なわけですが(笑)、実質ブーツィー・コリンズがジェームス・ブラウンのサポートバンド JB’s に加入していたのは1970~71年と極めて短期間。

まあ、この短期間の間にジェームス・ブラウンの代表曲ともいえる楽曲でベースを弾いていたというのは、凄い功績なわけですが、ジェームス・ブラウンからの解雇理由は諸々あるようですし、ブーツィー・コリンズの方も JB’s に長くいようという気がなかった理由も諸々あったようですが、コアなファンクファンにはこの後の、ジョージ・クリントンのパーラメント、ファンカデリック(双方、同じメンバー)という名のバンド=このバンドの作る音楽をPファンクと呼ぶ、そこに加入してからのブーツィー・コリンズのプレイ、活動も高く評価されてます。





で、こちら「踊り場」「ディスコ」と謳ってるのでほざけば、70年代の踊り場シーン、80年前後の空前のディスコブームで、Pファンクが爆発的に人気があったか?と言えば、答えはNOであり、70年代初頭から中頃までは、所謂ニューファンクはジェームス・ブラウンや JB’s 等と共によく使われておりましたが、必ずしも誰もが!そのファンクで踊っていたとは言いがたく、特に女の人はもっとソフトでメロディアスなソウルミュージックを好んでいた傾向にあり、これが空前のディスコブームになると更に如実になり、所謂「ディスコサウンド」は好まれても、Pファンクがバカ受けしていたという記憶も証言も、当サイト運営者は持ち合わせておりません。

良くも悪くも80年前後の空前のディスコブームは、ファンク色のとても希薄なムーブメントだったわけで、当時のファンク好きだったDJたちは、自分の好きな曲がお客さん達に好まれないのでつかえない。あまり好きではない曲がお客さん達に好まれるのでつかっていたので、色々と!この頃のディスコブームは、思う所が今もあるようであります。

当サイト運営者の個人的感覚では、やはり所謂ミクスチャーロック(日本独自の造語ですが)、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ(Pファンクのジョージ・クリントンがプロデュースしてたりする)が日本の当時の若い音楽ファンに支持されだした1980年代後半以降の方が、ロックファンやプレイヤーサイドにPファンクは再評価されたような気がしますし、又、皮肉な事にこの頃のディスコは、ユーロビート一直線でしたから、やっぱりPファンクは、あまり好まれていなかったような気もします。

というわけで「踊り場」「ディスコ」と謳ってるサイトですので、今迄Pファンクを無視し続けておりましたが、礼儀として!彼等が音楽シーンに与えた影響力、大功績は称えないわけにはいかないので、アップいたしましたし、これからも少しずつ紹介したいと思っております。

ちなみにアップしてある曲は1976年、空前のディスコブーム前夜のパーラメント、「マザーシップ・コネクション」(Mothership Connection)。

posted by 麻呂 at 04:39| アメリカ ファンク R&B | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月05日

元祖♪うっ あっ かけ声サウンド(笑) Clarence Reid - Funky Party クラレンス・リード ファンキーパーティ





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古のディスコサウンドでお馴染みの「♩うっ♩あっ」のかけ声サウンドの、こらが元祖と当サイト運営者思っております(笑)、空前のディスコブームを迎える数年前、1974~75年頃、バハマのビギニング・オブ・ジエンドの「ファンキーナッソー」や、クール&ザ・ギャングの「ファンキー・スタッフ」、ルーファス・トーマスの「ファンキー・チキン」等々同様、とりあえず「ファンキー」と題名についてりゃーヒップだった(笑、この後のKC&ザ・サンシャイン・バンドのファンキー・ホーンもその狙いだったと思います)、マイアミのクラレンス・リードの「ファンキー・パーティ」(Funky Party)。

ブラックムービーの傑作!「黒いジャガー」の、アイザック・ヘイズのテーマ曲を感じさせますね。時代ですね!、、、この曲は、ここ数年の所謂ダンクライベントでも聴かれる事がないので、この曲を知ってる人は、コアなレア・グルーヴってなトコで探求してる後世のブラックミュージックファンの人達と、リアルタイム「踊り場」に出入りしてた元不良少年少女だった、2013年現在50代後半のおっさん、おばちゃん限定感が、かなり強いと思われます(笑)。



posted by 麻呂 at 16:14| アメリカ ファンク R&B | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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