2015年01月10日

ポルノ女優もやってたそうなアンドレア・トゥルーの モア・モア・モア More, More More - Andrea True Connection (HQ Audio)









当サイトでも再三ふれておりますが、世界的な空前のディスコブームというのは、1980年前後に吹き荒れてたわけで、その最大の功労者は1977年末発売のビージーズの映画&サントラ「サタディ・ナイト・フィーバー」の世界的な大ヒットだったのは、このアルバムとビージーズの好き嫌いは別にして、異論を唱える方は多分いないと思われます。

ビルボード200では24週連続1位、カナダでは22週連続1位、イギリスでは18週連続1位、オーストラリアでは14週連続1位という驚異的なメガヒットになった「サタディ・ナイト・フィーバー」は、なんたって1960年代のザ・ビートルズ、そして70年代のウイングスと快進撃を続けていた天下の!ポール・マッカートニーのアルバム「ロンドン・タウン」が、「サタディ・ナイト・フィーバー」の壁を破れず最高位2位に甘んじたほど、このアルバムと映画のメガヒットにより、世界的な大!ディスコブームが巻き起こったわけで、これ日本もしかり。

ですから、1977年末以前までが「世界的な空前の大ディスコブーム前夜」と位置ずければ良いわけで、こちら当時の日本の踊り場、ディスコで大人気だったアンドレア・トゥルーの「モア・モア・モア」(More, More More)は1976年の曲。正に!大ディスコブーム前夜のソレであり、彼女はディスコブームの頃のイギリスのビージーズやスウェーデンのアバ同様、アメリカの白人女性。

これも当サイトで再三ほざいてますが、案外、空前のディスコブーム以前から既に、本家アフリカンアメリカンではなく、欧州圏含む白人のディスコサウンド、ファンキーサウンドというのが踊り場、ディスコではヒットしており、ビージーズやアバで突然!ディスコブームがやってきたというよりは、既にその前兆予兆は1975~76年頃には、あったわけです。



が、唯、日本の場合この時期の踊り場、ディスコはかなり特殊な人達の集まる特殊な場所だったので(空前のディスコブームの頃もそうだと思いますが、もっと!という意味)、色々な意味で「普通のコ」には敷居の高い場所だったので、なんとなーく日本の場合、映画&サントラ「サタディ・ナイト・フィーバー」の大ヒットによって、ディスコとディスコサウンドが「普通のコ」達にも知れ渡り、又、マスメディアもそれに乗りまくり、その影響でディスコも、よりお洒落で安全な場所に様変わりしていったので、ディスコブームはふってわいたムーブメントのような印象がありますが、そんな事はなく、1960年代後半のR&Bブームから、じわじわと日本でもアンダーグラウンドでは、火はくすぶっていたんですね。

ちなみにこのアンドレア・トゥルーコネクションというグループ名、当時の欧州圏しかりアメリカしかり、そして日本の筒美京平先生のドラゴンエクスプレスしかりで、所謂「バンド」ではないです。

ポルノ女優をやっていたアンドレ・トゥルーが、ジャマイカで企業のCMにでむいた時、政変が現地でおきジャマイカ以外に紙幣が持ち出せなくなってしまったので、知り合いの音楽プロデューサーにアメリカでデモテープを作ってもらい、それをジャマイカに持ち込み、彼女はそのCMのギャラで現地のスタジオミュージッシャンを雇いオケに音を被せ、そして彼女が歌を吹き込んだのが、こちら「モア・モア・モア」(More, More More)。

posted by 麻呂 at 09:44| ETC ロック&ポップス系 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月01日

ブラック・マジック・ウーマン/サンタナ SANTANA 73~74年頃迄は踊り場で使われてた曲





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1970年のセカンドアルバムにしてサンタナ初の!全米ビルボードアルバムチャート1位を獲得した、「天の守護神」(Abraxas)。シングルカットされた「ブラック・マジック・ウーマン」(Black Magic Woman)も全米ビルボードシングルチャート最高位4位の大ヒット。日本でも大ヒットした曲でした。

まあ、古のロックファンにはこの曲はフリートウッド・マックがオリジナル曲な事は有名ですが、一般的には日米で大ヒットしたので、あまりにもサンタナで有名な曲ですね。

で、ソウルステップが得意な方は踊ってみて下さい。この曲は チャチャ ナンバーでした。

1973~74年頃までは「ブラック・マジック・ウーマン」(Black Magic Woman)は、1960年代のモータウンやスタックスのR&B、ジェームス・ブラウン等と共に踊り場で頻繁に使われていた曲でしたが、1974年頃からはニューファンクやフィリーソウル、そして後にディスコサウンドになるようなタイプの踊り場御用達っぽい「ナウい」曲が踊り場で流行りだし(一般的には未だそれほどでもなかった)、何時の時代も踊り場、ディスコ、クラブ、その昔のゴーゴーまで、そういう所に遊びにくる男女は、音楽もファッションも「新しもの好き」なのが常。

よって、それまで使われていた楽曲の淘汰が当時のDJの間で始まったようで(時間は限られてるので)、サンタナの「ブラック・マジック・ウーマン」(Black Magic Woman)は、そんな1曲だったと記憶しております。

なので1980年前後の空前のディスコブーム期が思春期、ディスコ通い時期だった層には、サンタナの「ブラック・マジック・ウーマン」(Black Magic Woman)は、全く!思い入れがないと思いますが、1970年代初頭の踊り場経験のある層にとっては、この曲は踊れるナンバー。そんな想い出がある曲なわけであります。

posted by 麻呂 at 00:18| ETC ロック&ポップス系 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月25日

ボズ・スキャッグス ロウダウン BOZ SCAGGS ,LOW DOWN





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アメリカから、エリック・クラプトン人気を筆頭に白人によるR&B、ブルースが盛んだったイギリスに60年代渡るも(ジミ・ヘンドリックスと同じパターン)、大きな成功には至らず、アメリカに帰国後、スティーヴ・ミラー・ブルースバンドのメンバーとして注目され、コンスタントに地味にR&B、ブルース色強いソロアルバムを発表していたボズ・スキャッグスの、ソロ名義7作目にして空前の大ヒットとなったアルバム「シルク・ディグリーズ」(Silk Degrees)からのシングルカット、こちらも大ヒットになった「ロウダウン」(Lowdown)。

ホワイトブルースマンとして、必ずしもエリック・クラプトン等のような商業的大成功を収めていたとは言いずらかったボズは、1970年代初頭、それまでのブルース、R&Bブームに陰りがみえはじめた、所謂ニューソウル、ニューファンクがかわってブームになった頃(ディスコの前の踊り場の時代)、積極的にボズはそのサウンドに取り組んでいたわけで、その集大成がこちらの1976年全米2位の大ヒットアルバム、シングルの大成功だったと言えるでしょう。

有名な話しですが、とても!印象的なイントロのドラムを叩いてるのは、この後、トトを結成するジェフ・ポーカロ。







posted by 麻呂 at 08:20| ETC ロック&ポップス系 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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