2015年01月30日

オリビア・ニュートン・ジョンの「ザナドゥ」(Xanadu)も、ディスコブームの真っただ中の1980年、ディスコで人気だった









正に!空前のディスコブームの真っ最中!1980年、オリビア・ニュートン・ジョンが放ったディスコヒット!「ザナドゥ」(Xanadu)。

当サイト運営者の個人的感覚では、1970年代、外人女性シンガーで、老若男女を問わず!日本で最も知名度が高かったのは、カーペンターズのカレン・カーペンターとオリビア・ニュートン・ジョンだったと思いますが、その人気のピークは1975年の「そよ風の誘惑」から1981年の「フィジカル」で、こちら「ザナドゥ」(Xanadu)は、世界的な空前のディスコブームを巻き起こすきっかけになった映画「サタディ・ナイト・フィーバー」に主演したジョン・トラボルタとの競演映画、日本でもそこそこヒットした1978年の映画「グリース」に続く、彼女の主演映画の主題歌。

映画「ザナドゥ」は古のミュージカルスター!ジーン・ケリーとの競演、ザ・ビートルズファン、ブリティッシュロックファンにはお馴染み!ジェフ・リンのエレクトリック・ライト・オーケストラ(ELO)が音楽担当と、話題性は抜群だったのですが、「グリース」と違い興行的には映画は不発でしたが、彼女歌う楽曲は大ヒット!(全米ビルボードチャート最高位8位)。

折からのディスコブームの最中、あまり「踊れる曲」とは今も当時も当サイト運営者は思えないのですが(笑)、日本のディスコでも大人気だった曲で、わりと近年、ソフトバンクモバイル「ホワイトプラン」のCMソングに使われていたので、リアルタイムを知らない若い世代も、聴き覚えがあるのではないか?と思います。

posted by 麻呂 at 00:00| ETC ロック&ポップス系 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月21日

サンタナ・ホールドオン(Hold On) アメリカのディスコブーム末期に流行ったサンタナらしくなかった曲



【意外と知らないIT用語】 ドメインって何? お名前.com



1980年代になって六本木の「ネペンタ」「キサナドゥ」「ナパーナ」等のディスコが流行り、1982年頃から80年代の終わり頃まで「マハラジャ」チェーンが、当時のディスコフリークにもの凄く人気になり、サラリーマンディスコでこちらも一世を風靡した日比谷ラジオシティの開店が1986年。

ところが、実際にアメリカ中心に世界で空前のディスコブームが巻き起こったのは1978~81年頃で、アメリカでは完全にディスコブームは80年代になると終焉に向かっていたわけで、80年前後のディスコブーム時、圧倒的人気を誇ったアース・ウインド&ファイアーが、一般洋楽ファンとディスコファンが共通認識できる最後のヒット、「レッツ・グルーヴ」を1981年末から82年に流行らせたのを最後に、この後、急激にその人気は低迷、一時活動休止に80年代はなったわけで、こちらも今もダンクライベントやケントスでも人気が高いKC&ザ・サンシャインバンドも、あのへんのヒット曲を出していたのは1970年代後半で、殆どのディスコブーム時に人気だったグループ、シンガーは、日本で未だ未だ!ディスコが盛り上がってた80年代は消えていたわけです。



当サイト運営者、80年代のディスコは全くわかりませんが、1991年以降のジュリアナ東京のユーロビート大盛り上がり以前は、どんな曲が80年代に流行っていたのか?本当に知りませんし想像もつきません(笑)。

で、こちらサンタナの「ホールドオン」(Hold On)は、そんなアメリカでは既に終焉に向かってたディスコブーム末期とも言える1982年、正にアースの「レッツ・グルーヴ」の後当たりに流行った曲で、当時はサンタナらしくないと、ヒットはしましたが70年代初頭からのサンタナファンからは、あまり評判のよくない曲でしたが、80年代前半に思春期でディスコ体験した方々には、想い出深い曲だと思います。

又、サンタナ自身も1999年にアルバム「スーパーナチュラル」がグラミー賞9部門を独占する快挙を成し遂げるまで、82年の「ホールドオン」(Hold On)のヒットを最後に低迷期になったのも、古のロックファンなら、よく覚えてる時代背景だったと思います。



posted by 麻呂 at 02:22| ETC ロック&ポップス系 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月14日

ディスコでも人気曲だったミル・マスカラスの入場曲、スカイハイは、元々映画に使われていた曲



【スマホに安心。タブレットに満足。信頼のバッテリーをお探しなら】




人気プロレスラー、千の顔を持つ男!ミル・マスカラスのテーマで古のプロレスファンにはお馴染み、ジグソーの「スカイハイ」(Sky-High)は、イギリスはイングランドのロックバンドで、元々この曲はオーストラリアはシドニーを根拠地とする麻楽シンジケートに挑む、香港警察特別支局刑事の活躍を描いた、1975年オーストラリア・香港の合作アクション映画で(日本公開は76年)使われた曲。

で、この映画には「女王陛下の007」に二代目ジェームス・ボンド役で主演したジョージ・レーゼンビーが出演しており、彼はイギリス人ではなくオーストラリア人だった事もありイギリス英語ではない言葉のニュアンスの問題や、元モデルで演技経験に乏しかった事、ふってわいた天下の007、ジェームス・ボンド役に舞い上がって、撮影の段階からスター気取りでスタッフや映画会社に嫌われたり、又、初代のボンド役、ショーン・コネリーのイメージがあまりに当時強かったので、観客もレーゼンビーのボンドに拒絶したので、これ1作でボンド役は降ろされるわけですが、そこはオーストラリア人がイギリスのジェームス・ボンドを演じたんですから、オーストラリアではさぞ!彼は話題の人だったのでしょう。

こうしてしっかり!オーストラリア・香港合作映画には、その後出演している。

まあ、1973年のブルース・リー主演で、香港を舞台にしたアメリカ映画「燃えよドラゴン」が爆発的にヒットした影響下に、こちら「スカイハイ」もあったから、香港警察特別支局刑事が主役なのでしょう。

香港は当時未だイギリスの植民地でしたから、イギリス人達にも身近。ジグソーはそんなイギリスはイングランドのバンドでしたから、この映画で抜擢されたのでしょう。そしてオーストラリア人でイギリスの007、ジェームス・ボンドを演じたジョージ・レーゼンビーも、オーストラリアと香港の合作映画だから呼ばれたのでしょう。

日本では最初、アメリカチャートで最高位3位まであがったジグソーというバンドのポップヒットって事で、「スカイハイ」(Sky-High)は普通に洋楽ポップチャートでヒットした曲で、おそらく映画配給会社は、この曲のヒットによって映画を後から買い付けたと思うわけで、映画上映は「スカイハイ」(Sky-High)のヒットの後だったと記憶しておりますが、残念ながら日本では映画「スカイハイ」は楽曲と違いヒットしませんでした。

くどいようですが、日本でも007、ジェームス・ボンドは、あまりにショーン・コネリーのイメージが強かったので、二代目のジョージ・レーゼンビーは殆ど人気がなかったですし、又、認知度も低かったのも、映画がヒットしなかった原因かも知れません。

余談ですが、結局、ジェームス・ボンドは再びショーン・コネリーになり「007/ダイヤモンドは永遠に」が撮られ(コネリー本当にこれが最後の007)、日本でもヒットし007シリーズは面目を保ち、その後のロジャー・ムーアに上手くバトンタッチしており人気シリーズを継続しますが、私的にはジョージ・レーゼンビーの「女王陛下の007」の方が、「007/ダイヤモンドは永遠に」より面白かったような記憶があります。

で、話しもどって、これでジグソーの「スカイハイ」(Sky-High)はいったん終わってるわけですが(笑)、果たして全日本プロレスがミル・マスカラスのテーマに使ったのと、踊り場、ディスコでDJ達が再び蘇らせたのか?当サイト運営者は記憶が定かではありませんが、1977~78年頃から再び!プロレスファンと踊り場、ディスコファン達の間で、こちら「スカイハイ」(Sky-High)は大人気になり、以前にも増して!ロングヒットになったわけで、最初のヒットから日本でわりと誰もがこの曲を知るようになるまで、ちょっとタイムラグがあったんですね。



まあ、↑こちらがロックバンド、ジグソーです。

余談ですが、同じイギリスはスコットランド出身の白人ファンクバンド、アヴェレージ・ホワイト・バンドがインスト曲としては異例の!全米ビルボードチャートで1位を獲得したのも、ジグソーの「スカイハイ」(Sky-High)が3位を記録した1975年。

又、同じくイギリス出身のビージーズの初の!ディスコヒット、「ジャイヴ・トーキン」、「ブロードウエイの夜」も1975年。1975年という年は、それまでの北米のアフリカンアメリカン中心だったR&B、ニューソウル、ニューファンクのファンキーミュージックの流れが変わった年だったと言えるかも知れませんね。



posted by 麻呂 at 19:07| ETC ロック&ポップス系 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
ぴかぴか(新しい)こちらもおススメでするんるん
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。