2015年02月04日

空前のディスコブーム真っ盛りの全米1位ソング、プレイヤーの「ベイビー・カム・バック」(Baby Come Back)









1970年代初頭のニューソウル、ニューファンクの影響でしょう。パーカッションのリズミカルでグルーヴィーなリズムに、流麗なメロディ&ハーモニーの楽曲。アメリカンバンド伝統のサビの総ハーモ二ー、印象的なせつないギターメロに、当時、流行りのキーボードサウンドで全体を包み込んだ、素晴らしいバラード、名曲でございます。

1978年1月に全米1位を獲得。アメリカで映画「サタディナイトフィーバー」が上映され、遂に!既にディスコは国内外で60年代後半から静かな、そして日々支持者が増える(主に不良、とっぽい遊び人中心でしたが)着実なブームを、ずーっと続けていたわけですが、これにて一般的にも大ブレイク!空前の大ブームになるわけで、日本でも同年夏、公開され大ヒット。80年前後から90年代初頭のジュリアナ東京まで、ディスコブームが続くわけですが、「ベイビーカムバック」(Baby Come Back)はそんな時代背景の中、日本でも大ヒットしました。

2011年今現在、50代後半前半で昔の洋楽ポップスファンの方なら誰もが御存知のオリジナルキャストの「ミスターマンディ」、日本のザ・テンプターズ(萩原健一氏の居たバンド)のデビューシングル曲B面収録の「今日を生きよう」の原曲、オリジナルグループのグラスルーツ、そしてモータウン移籍後のフォートップス等を手がけたデニス・ランバート。

そのデニス・ランバートが設立したレコード会社から、このプレイヤーのヒット曲は生まれており、とてもポップでされどソウルフルな味わいのこちら「ベイビーカムバック」(Baby Come Back)の素晴らしい仕上がりは、デニス・ランバートの経歴を調べると、それは当然の成り行きだったんだなと、感心する次第でございます(勿論、バンドメンバーの秀逸な才能も含め)。



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2015年02月03日

昨今のフィットネスの先駆けだった オリビア・ニュートン・ジョンの「フィジカル」(Physical)





空前のディスコブームが、アメリカではピークから終焉に向かいだした1981年(日本では未だ続きましたが)。1970年代半ばから日本でもアメリカでも(世界でも)人気絶頂だったオリビア・ニュートン・ジョンが放った「フィジカル」(Physical)。

「フィジカル」(Physical)は、全米ビルボードチャート連続10週1位という大記録を樹立。イギリス生まれのオーストラリア育ちのオリビア・ニュートン・ジョンは、実はかなり下積みの長かった女性で、アメリカに移住しヒット曲を連発し、日本はじめ世界の人気者になった70年代半ばから後半が、矢沢永吉氏の言葉を借りれば彼女がビッグになった時期で、「フィジカル」(Physical)でグレイトになったと言える記念すべき曲でした。

今でこそフィットネスはブームではなく日常、若者は勿論、初老中高年も自分の健康管理が「当たり前」の日本ですが、当時フィットネスは未だ相当!新しいムーブメントであり、この2年後に映画「フラッシュダンス」以降、日本でもジャズダンスがブームになりましたし、ジョギングがちらほら流行だした頃ですから、「フィジカル」(Physical)はテーマもPVも、かなり新しかったと、リアルタイムを知らない今の若い方にはわかっていただきたいと思います。

ベトナム戦争を終結させた(アメリカの敗北)ニクソン以降、同じ共和党のフォード、そして民主党のカーターと70年代のアメリカは大統領が変わったわけですが、70年代のアメリカは泥沼化したベトナム戦争の後遺症で、経済も国民の気持ちも疲弊しており、第二次世界大戦の勝利国になった1945年以降、「強くて豊かな国アメリカ」というイメージが崩壊しかかってた時代で(2015年現在の失墜したアメリカのイメージよりは、未だ!マシだったが)、共和党のロナルド・レーガンが1981年に大統領に就任してから、レーガンは「強いアメリカ」の復活を旗頭にし、アメリカもなんとなーく、70年代のネガティブな気分から脱却しつつあったのが、こちら「フィジカル」(Physical)が大ヒットした時代背景。





で、レーガンが必ずしも良い大統領だったとは、アメリカにとっても日本にとっても言い切れませんが(汗)、レーガンによってアメリカの「空気」が変わったのは否めない歴史でしょう(勿論、85年のプラザ合意含め、日本経済も大影響を受けてますが)。

まあ、アメリカ人の肥満は今も何も変わってませんが、当時、アメリカ人の肥満は、ちょっとしたアメリカの社会問題で、既に三十路を越えた(32才)オリビア・ニュートン・ジョンの「フィジカル」(Physical)のPV、レオタード姿&テニスルック姿の若々しく瑞々しく、そして躍動感のある肌、スタイル、顔は「事件」だったのであります。

幸い当時の日本の若者達は、サーフィン&サーファーブームの真っ盛りであり、又、テニス、スキー等も若者達に人気だったので、団塊の世代以上の既に「大人」だった層に比べると、あまり若者達に肥満はおらず(例外は何時の時代もありますが。笑)、そのブームはパルコや赤いカードを発行しだした丸井の営業戦略の一貫だったにしても、男連中は「女にもてたい」からそれに乗ってたにしても(笑)、若者達はわりとスポーティーだったので、こちら「フィジカル」(Physical)は日本でもドンズバでハマった曲だったわけであります。





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2015年02月02日

空前のディスコブームの1980年、イギリスのノーランズは爆発的に!日本で売れていた



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当サイトで繰り返しほざいてるように、1980年前後の空前のディスコブームの頃、実はそれ以前の北米のR&B、ニューソウル、ニューファンクのシンガー、グループは「軒を貸して母屋をとられる」ではないですが、そのブームの恩恵はあまりうけておらず、欧州圏のグループが実態は主役だったわけで、こちらイギリス出身の姉妹グループ、ノーランズもそんなグループの1つ。

特に!日本ではもの凄い人気であり!こちらシングル「恋のハッピー・デート」収録アルバムは、なんと!オリコンの洋楽では初めてシングル、LP、カセットの三冠王を記録したグループなのであります。

断言しますが!1980年前後当時のディスコブームって、一般的にはこれなんです(笑)、、、。

まあ、北米のアフリカンアメリカン、ジャクソン5、ポインターシスターズ、シスタースレッジ。白人のオズモンズ、日本のフィンガー5と同じ、兄弟姉妹グループのイギリス版と思えばノーランズはよいわけで、別にノーランズの肩をもつわけじゃないですが、北米のアフリカンアメリカンの「家族の絆」の兄弟姉妹グループは認めるけど、白人のそれは認めないという、R&B、ソウル、ファンクファン独特の、ある種の「逆差別」は、当サイト運営者はあまり好きではないです。

音楽はパーソナルなものですから、それの好き嫌いは人によってあって当然ですが、商売、仕事としてやってる事は、そーんなに肌の色や国籍が違っても、何処も変わってなかったと思いますし、、、。

ちなみに1980年には石野真子さんがこちら「恋のハッピー・デート」をカヴァーし、1981年、日本の東京音楽祭の金賞受賞曲の「セクシー・ミュージック」を、何故か?1990年と時間が経過してから、Winkがカヴァーし大ヒットさせたのは、2015年現在、50才前後の方なら、記憶にある事だと思います。

まあ、てなわけで、ノーランズはとても!日本人ウケする女性グループだったわけであります。



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ぴかぴか(新しい)こちらもおススメでするんるん
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