2013年04月30日

グラハム・セントラル・ステーション Graham Central Station - Water





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昨今は、ベースプレイヤーの間ではチョッパー奏法も、JAZZ、R&R時代からの「スラップ」とまとめられてるようですが、リアルタイム70年代は「チョッパー」(笑)。チョッパーは偉かったのであります。

まあ、クロスオーバー、フュージョン寄りではスタンリー・クラーク、70年代後半のブラコン(ブラック・コンテンポラリー。レコード会社がファンクをそう呼ぶ事でナウぶって売り上げをあげようとした、昨今は死語になってる名前。笑)シーンでは、ブラザーズ・ジョンソンのルイス・ジョンソンが人気でしたが、やはり元祖チョッパーは、こちらラリー・グラハムでしたね〜。

JAZZ、R&R時代からの「スラップ」も、とても!カッコいいですが、初めてラリー・グラハムのチョッパーベースを聴いた時は、実に!摩訶不思議。こういうベース奏法もあるのかと感心したほど、とても耳に残る奏法でありました。

1971年、人気だったスライ&ザ・ファミリーストーンをドラッグ中で頭のおかしくなったスライに解雇されたラリー・グラハムが1973年結成したのが、こちらグラハム・セントラル・ステーションで、こちらは1975年のアルバム「ダイナマイト・ミュージック」(AIN'T NO 'BOUT-A-DOUBT IT)からのナンバー。昨今のダンクライベントでも、その昔もメロハモが流麗なフィリーソウルやディスコサウンド好きには、評判の悪い(笑)、されどコアなファンクファンには絶大な信者が多い、両極端の踊り場、ディスコファンにとってのファンクという音楽。さて皆様はどちらでしょう〜(笑)。





2013年02月20日

チョッパーという言葉を一般的にしたラリー・グラハム! グラハム・セントラル・ステーション パウ Graham Central Station - Pow





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近年はスラップで統一されているようですが、当時は「チョッパー」。チョッパーベースという名前を、おそらく日本人に初めて知らしめたのは、諸説ございますが、こちらラリー・グラハム。彼の率いるグラハム・セントラル・ステーションでしょう。

1967年、人種性別混合ファンクロックバンド、スライ&ザ・ファミリー・ストーンに加入した黒人ラリー・グラハムは、ドラマーのイタリア系白人のグレッグ・エリコともの凄いグルーヴを作りだし、スライストーンが人気バンドになるリズムを担ったわけですが、人気絶頂期に薬物の影響で人格に荒廃を来たしたスライは、仲の悪いラリーにバンドの主導権を乗っ取られるのではないかとの妄想に取り憑かれ、銃を振り回し、何度となく逮捕起訴され、スライがラリーを殺そうとしたこともあるそう。

このへんはお互いドラッグ中毒で猜疑心が強くなったエリック・クラプトンとジム・ゴードンの軋轢でバンドが崩壊した「いとしのレイラ」でお馴染み、デレク&ドミノスに似ており、流石にラリー・グラハムはスライの元を離れ、1973年にこちら、彼自身のバンド、グラハム・セントラル・ステーションを結成したという、もの凄いエピソードがラリー・グラハムあるんですね〜。

まあ、日本で当時、グラハム・セントラル・ステーションはチャートを賑わせる飛び抜けたビッグヒットがあったわけではありませんが、ラリー・グラハムのチョッパーベース奏法は、当時のディスコブーム前の「踊り場」好きの「とっぽい」連中やDJ、プレイヤーサイドに圧倒的に支持されていた、その界隈で!とても人気の高かったグループです(今も)。



一般にチョッパーベースがディスコフリークに認知されるのは、もう少し後のブラザース・ジョンソンのルイス・ジョンソンから。ロックキッズ達はジェフ・ベックと競演した事でスタンリー・クラークから。

和製ふぉーくファンのコ達は、後藤次利氏の「チョッパーズブギ」から、そして誰もが知るようになるのは80年前後のフュージョンブームからだったと、管理人は「独断と偏見」で(笑)認識しております。「独断と偏見」ですので、「あたしはオレは違う!」というクレームはうけつけません(笑)、例外は山ほど!あるでしょうから。あくまでも私個人のリアルタイム若者で過ごした空気、想い出、感覚、感想の「独断と偏見」の認識という事を、ご了承くださいませ。

ラリー・グラハムは、日本のオリジナルギター製作界の大御所、巨匠!表克美 (Moony)氏作の「MOONベース」も使用しております。




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2013年02月18日

性別と肌の色、音楽のジャンルを超越したグループだったスライ&ザ・ファミリーストーンのサンキュー Thank you / Sly & the Family Stone LIVE ! on soul train





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1970年代半ばから、1980年前後の空前の!ディスコブームの頃には、完全に忘れられ過去の人になってしまったので、1980年前後のディスコサウンドファンには知名度が低い、というか知らない人が多いのが残念でならない、1960年代半ばから後半、アメリカ、カリフォルニアでDJをやり、曲作りや音楽プロデューサーをやり、シンガーもやり、そして!スライ&ザ・ファミリーストーンを結成したスライストーンが音楽界に与えた影響力というのは凄まじいものがありました。

観ての通り、スライ&ザ・ファミリーストーンは黒人白人男性女性、混成バンドであり、スライがデビューした1967年は未だ!アメリカで「黒人公民権」が施行されてから僅か3年しか経過しておらず、「黒人公民権」の立役者のキング牧師が暗殺されるのは翌1968年(関わっていたケネディ暗殺は1963年)、同じく黒人解放運動で有名なマルコムXが暗殺されたのが1965年と、アメリカには未だ未だ黒人白人の人種の隔たり、又、様々な危険が満ちていた時代で、まあ、今や当たり前ですが、肌の色と性別を壁を撤廃したバンドなわけであります。



更に!ロックのサイケデリック、電子楽器をファンク、R&Bの世界に導入したグループで、その影響はジャズのマイルス・デイビスやモータウン・レコードにも波及。この後のジャズのクロスオーバー化や、ニューソウル、ニューファンクにも多大な影響を与えた、もっと言えばレッド・ホット・チリペッパーズ登場以降の、ファンクとヒップホップを、パンク・ロックやハードロックなどと混ぜ合わせたミクスチャー・ロックの、ジミ・ヘンドリックス同様、元祖と言えるグループだったわけであります。

又、近年、その奏法は「スラップ」で統一されてるようですが、70年代のニューファンク、ブラックコンテンポラリー(ブラコン)、クロスオーバー、そして80年代初頭のフュージョンブームの頃、もてはやされたベースの「チョッパー奏法」の、おそらく初めての大ヒット曲が、こちら、スライ&ザ・ファミリーストーン時代のラリー・グラハムが奏でた、こちら1970年代初頭、日本の踊り場でそれなりに人気のあった「サンキュー」(Thank you)だったと、当サイト運営者は記憶しております。

まあ、スライストーンの麻薬依存等、諸々のトラブルの末、そのラリー・グラハムはバンドを脱退。自身のバンド、こちらも70年代中期頃までコアなファンクファン、プレイヤーサイドに圧倒的な人気を誇っていたグラハム・セントラル・ステーションを結成、Pファンク同様、今もコアなファンクファンには支持の高いバンドですが、スライの人気の停滞に変わって、70年代中期頃迄は、それなりにグラハム・セントラル・ステーションは踊り場ファン、当事のDJに人気の高いグループでありました。




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