2013年02月25日

1970年代半ばツイストナンバーとして踊り場でも好まれた キャロル ファンキー・モンキー・ベイビー 1973





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1973年後半〜1974年の踊り場でのツイストナンバーと言えば、何と言っても!キャロルの「ファンキー・モンキー・ベイビー」。今も健在「ケントス」が出来るのが1976年、70年代後半になると80年代の代々木公園でツイスト踊るムーブメントが、竹の子族と共に起き、様々なオールディーズ、R&Rナンバーが多くの日本の若者にも知られるようになるわけですが、1973年は未だ、新宿伊勢丹隣、青梅街道と新宿通りの抜ける通りにあった「怪人20面相」(現在、原宿と渋谷の間ぐらいのビル、ピンクドラゴンのオーナーの1号店)ぐらいしか、オールディーズ、R&Rバーが存在していなかった時代。

そして1972年12月レコードデビューの「ルイジアンナ / 最後の恋人」から、毎月1枚!シングルを発売し続け、7ヶ月後の1973年6月発表の7枚目のシングル盤、キャロルが放った最初で最後の中ヒット(ラジオのヒットチャートのトップ20入りぐらい)が、こちら「ファンキー・モンキー・ベイビー」。

和製の楽曲はクックニック&チャッキーや、つのだ☆ひろ氏など何曲も踊り場で使われおりましたが、和製R&Rナンバーは稀(新宿のポップではジュリー、沢田研二氏の「危険なふたり」もツイストで使っていたが)。踊り場のツイストナンバーとして、随分とこの曲は好まれました。



が!7ヶ月連続でシングル両面のオリジナルを作り録音し、TVのレギュラーも持っていて(銀座ナウ)、内田裕也氏主催のニューロック系のフェスティバル出演も頻繁だったキャロルは、この中ヒットにより、一休みしたい、若くして莫大な作詞印税を手にし休みたくなったジョニー大倉氏と、未だ未だ成功のスタートを切っただけと思っていたタフガイ矢沢永吉氏(作曲担当)の間に、皮肉な事に亀裂が生じだすわけで、ジョニー大倉氏の失踪事件などもあり、何と!日比谷野音での有名な解散ライブで解散する2年後の1975年4月13日迄、シングルレコードは僅かにこのあと3枚しかキャロルは発表していないんですね。それまで7ヶ月で7枚発表していたのにです。

で、せっかく「ファンキー・モンキー・ベイビー」の中ヒットをだしながら、キャロルの活動が鈍くなる1974年末発表された、同じくリーゼントバンドのダウンタウン・ブギウギ・バンドの「スモーキン'ブギ/恋のかけら」が1975年になって大爆発!続く3月発売の「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ/カッコマンブギ」共々、歌謡ヒットチャートのトップ10入りを何週も続ける記録的な大ヒットになり、矢沢永吉氏の著書「成り上がり」に書かれているように、他メンバーに反対されていたそうなラストライブツアーをキャロルがやらなかったら、キャロルの最後のシングルレコードは1974年12月発売、同時期の「スモーキン'ブギ/恋のかけら」に商業的には完全にやられていた「ラストチャンス / 変わりえぬ愛」であり、そのまま解散宣言だけしフェイドアウトになっていたら、その後のキャロル伝説も矢沢永吉氏の成り上がり伝説も、生まれなかったかも知れないんですね。



ジョニー大倉氏の著書「キャロル夜明け前」にも書かれておりますが、キャロルが実際に商業的に大成功するのも皮肉な事に解散してからで、例の火事の!日比谷野音での解散ライブが新聞のニュースにもなり(火事で)、その映像がTVで後に放映され、親衛隊のクールス同様、キャロルにとって最高の!プロモーション映像&音源になったわけで、解散後このライブを収めた高価な2枚組アルバム「燃えつきる - キャロル・ラスト・ライヴ!! 1975 4.13.」と、1974年末に発売された、こちらも高価な二枚組アルバム、キャロルのベスト盤「キャロル・ゴールデン・ヒッツ」が共にバカ売れし、更に!未発表音源やライブ音源を集めた「GOOD-BYE CAROL」も相乗効果で売れ、1975年、キャロルは1曲の新曲も録音発表していないのに、解散してから3枚のアルバムが売れに売れ、初めて!商業的大成功を収めたわけであります(うち二枚は二枚組)。

この、既になきキャロルが築いたマーケットを失うのはもったいないレコード会社は、キャロルの親衛隊のバイク集団、クールスに楽器をもたせバンドとしてデビューさせ、そして矢沢永吉氏はこの「解散してからバカ売れしたキャロル」の時代の空気に、見事に!乗ってソロデビュー、あとのサクセスストーリーは誰もがご承知の通りであります。





posted by 麻呂 at 17:05| 和もの 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

CMでも使われていたダウン・タウン・ブギウギ・バンドの珍しいディスコナンバー ア!ソゥ





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ダウン・タウン・ブギウギ・バンドが人気絶頂の頃の1976年、「裏切者の旅」のB面で発表された「ア!ソゥ」。

この曲、短期間ですが当時の踊り場、ディスコのDJたまに使ってました。ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの宇崎竜童氏は、60年代後半のR&Bから70年代初頭のニューソウル、ニューファンクの流れから、だんだん安直なディスコサウンドが台頭してきた時代背景でしたので、ディスコサウンドをバカにして作った曲と、インタビューで述べてたのを記憶しておりますが、当時の時代の空気といのは正に!こうでした。

当時に限らず今もそうだと思いますが、60年代後半のR&Bから70年代初頭のニューソウル、ニューファンク好きだった踊り場ファン層と、80年前後の完全なディスコサウンドファンでは、約10年間の短い時間でしたが、そのプレイスポットの想い出、楽曲、サウンドの好みが、相交わる事はまずなく(90年頃のジュリアナ東京になると尚更)、その分岐点になっていたのが70年代中期で、こちら「アッ!ソゥ」発表の1976年というのは、この後の空前のディスコブーム前夜、そろそろそれ以前のR&B、ニューソウル、ニューファンクが徐々に影が薄くなっていった、所謂ディスコサウンドが台頭してきた時期であり、そのいう安易なディスコサウンドが流行ってきた風潮を「バカにして」作ったのかも知れないですが、この楽曲「ア!ソゥ」なかなか良く出来た和製ファンクだと思いますね。

和音を刻むリズムギターと、繰り返されるリフメロのツインギターのアンサンブルは、クロスオーバーやブラコン、ファンクの常套手段ですし、ベースの新井武士氏のフレーズもR&B、ファンクっぽいですし、ディスコサウンドの代名詞でもある壮大なストリングスもなくファンクバンド的な管楽器を使っており、ブレイク前のメロは、同年ダウン・タウン・ブギウギ・バンドが発表する「沖縄ベイブルース」に通じるソレであり、とても私的には楽しめる楽曲であります。





posted by 麻呂 at 08:36| 和もの 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月07日

ニール・セダカの「オー!キャロル」が元歌。ステップ、ソウルシーシーの 僕の彼女は三つ年上 / Cooke, Nick & Chacky クックニック&チャッキー





【意外と知らないIT用語】 ドメインって何? お名前.com

でた!クックニック&チャッキー!という感じの、ステップ、ソウルシーシーの決定版!。和物では同じくクックニック&チャッキーの「可愛いひとよ」と双璧の、踊り場時代の大ヒットナンバーでございます。

とはいえ、つのだ☆ひろ氏の「メリー・ジェーン」同様、ヒットチャートにあがってテレビの歌謡ヒット番組で、がんがん歌ってたなんて事は一度もなく、正に!ロングヒット、踊り場のとっぽい連中の口コミで広まり、ヒットし続けたベストセラーという感じでしょうか。だから、リアルタイム、踊り場に通ってた、つっぱり坊やズベ公、とっぽい連中や、その連中と友人だった人間でないと知る事はない曲だと思いますので、今の(2013年)中高年でも知らない人は全然知らないです(笑)。

オリジナルはニール・セダカの「オー!キャロル」、キャロル・キングの事を歌った洋楽で、それに日本語詞をつけた、1960年前後からの伝統の!洋楽に日本語詞をつけた「和製ポップス」の流れの楽曲と言っても良いでしょう。メンバーの故ニック岡井氏は、新宿ジ・アザー、ゲット、白金ダンステリアで有名でしたね。




1/24 ニッサン スカイライン 2000GT-R ハードトップ





posted by 麻呂 at 17:03| 和もの 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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