2013年01月07日

西城秀樹氏のカヴァーで日本で大ヒットした ヴィレッジ・ピープル Y.M.C.A. Village People




西城秀樹氏が放った、こちらヴィレッジ・ピープルの1978年の「YMCA」のカヴァー、「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」って、レコード大賞が外人の作詞作曲は受賞対称外じゃなかったら、100%!1979年のレコード大賞とってたでしょうね。

それほど!当時、売れましたし、人気抜群でしたからね。

ヴィレッジ・ピープルもコアな北米R&Bファンには評判の悪いグループの1つですが、ケントスでは相変わらず大盛り上がり確実の定番曲なのも皮肉な話し。

で、良くも悪くも好きも嫌いも、このへんが正に!1980年前後の空前のディスコブームの象徴ですから、しょうがない(笑)。

そして北米のディスコブームは80年代に入ると案外、日本人が思ってる以上に早くに終焉してしまい、日本だけ未だディスコブームをジュリアナの90年頃まで、ずーっと!引きずるわけです。

が、北米のブームが終焉してますから、北米経由でそれ以前も欧州圏の楽曲が入ってはおりましたが、北米をすっとばし、自然と日本と欧州圏の独自のパイプが築きあげられる、テクノ経由ユーロビートにディスコはサウンドが一気にかわっていくわけですから、、、

1980年前後の空前のディスコブームというのは、ある種、それまでの北米を中心にしていたR&B、ニューソウル、ニューファンク、ブラコン等の終焉、お葬式を華々しくやってたと言えない事もないわけです。

当サイトでも再三!触れておりますが、既に70年代も半ば頃から、北米マーケット(結果、日本も)を狙った欧州圏のディスコサウンドが、かなり人気を得ており、、、

こちらヴィレッジ・ピープルもニューヨーク出身ですが、アメリカ人のドナ・サマーがイタリアの音楽家ジョルジオ・モロダーに見いだされ、アメリカでも日本でも世界でも、ディスコクィーンになったように、フランス人のジャック・モラリが仕掛けて大成功させてます。

ある種、欧州人から見たアメリカ人、アメリカ文化のパロディ(ヴィレッジ・ピープルの場合、ゲイ)をアメリカの黒人を起用してやらせた。ディスコブームはそんな側面もなきにしもあらずで、ボニーMとドイツ人、フランク・ファリアンの関係も同じようなソレです。

まあ、ディスコは黒人でないと「本物」っぽくないと、黒人を起用した欧州人たちと、、、

まあ、白人だって欧州人だっていいじゃねーかと、開き直って自分達でやったのが、スウェーデンのアバやドイツのジンギスカンとかですね。

このへん、なかなか「たかがディスコ、されどディスコ」アメリカ、欧州そして日本と、深いのであります(笑)。




posted by 麻呂 at 17:11| ヴィレッジピープル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月16日

フランス人ジャック・モラリが仕掛けたアメリカングループ、ヴィレッジ・ピープル初の大ヒット曲 サンフランシスコ San Francisco VILLAGE-PEOPLE 




日本では未だゲイという言葉が一般的ではなかった時代、「おかま」ダンスが流行った1977年。

ポップス史上初めて、ゲイ・イメージを表面に出し音楽活動を行い、成功したグループと言って良いでしょう。

ヴィレッジ・ピープル(Village People)初の!ヒットナンバーが、こちら「サンフランシスコ」(San Francisco)。

そんなある種、キワモノのヴィレッジ・ピープルが、踊り場だけでなく、一般的に知られるようになるのは、こちらもディスコで流行った1978年発表の「YMCA」を、1979年に西城秀樹氏が「ヤングマン・YMCA」として日本語で大ヒットさせてから。

で、昨今でもケントスでは人気曲でこちら、よく演奏されてますね。

ちなみに、西城秀樹氏の「ヤングマン・YMCA」の日本の編曲の大谷和夫氏は、当時、ショーグンのメンバー。

で、ショーグンは西城秀樹氏のサポートをやってた、ギタリストの芳野藤丸氏が結成したバンドで、この後、松田優作氏の「探偵物語」の主題歌で、大ブレイクしてますね。

また、大谷和夫氏は、サスペンス劇場の音楽も、随分と担当されてました。

というわけで、「YMCA」は当時のディスコで、ゲイもノンケも女性も外人も皆!大盛り上がりだった曲。

昨今のケントスでも、ウケのよい曲のわりに、あまりコアな北米、アフリカンアメリカン系のR&B、ニューソウル、ニューファンクファンには、グループのヴィレッジ・ピープルは、支持されてない代表的なグループの1つでもあります。


当サイトで何度も紹介している通り、ディスコブームがくる70年代末期から80年代初頭は、、、

70年前後アンダーグラウンドシーンで盛り上がっていたR&Bでもなければ、70年代初頭こちらもアンダーグラウンドに盛り上がったニューソウルでもニューファンクでもない、完全にそれらとは異なる、所謂「ディスコサウンド」が主流になっていたわけです。

で、そのとっかかり、そのへんの所謂「ディスコサウンド」に楽曲が変わって行くのが、ヴィレッジ・ピープルの「サンフランシスコ」や「ソウルドラキュラ」が流行った1976~1977年頃なわけです。

で、こちらも!当サイトで何度も紹介しております。

北米、アフリカンアメリカンのR&B、ニューソウル、ニューファンクが「軒を貸して母屋をとられる」ではないですが、、、

そのグルーヴ、サウンドの方法論を、イギリス、イタリア、フランス、ドイツといった欧州勢が模倣した、所謂「ディスコサウンド」が、アメリカでも日本でも、既に70年代半ば頃から流行りだしていたんです。

その結果、欧州の「ユーロビート」を日本人は好んだので、ディスコブームは実は短かった北米と違い、1990年代になっても、日本ではディスコブームが続いたんですね(多分、欧州も)。

まぁ〜そのユーロビートのおかげで、今のエイベックスがあるわけですが、このへんほざくと、また長くなるので、やめるとして(笑)、、、

ヴィレッジ・ピープルはアメリカのグループですが、仕掛け人はフランス人音楽プロデューサー、ジャック・モラリ。

ジャック・モラリは、この後の空前のディスコブームに世界が突入する予兆を、きっと感じていたのでしょう。

最初から衣装はじめゲイを売り物にするのも、作戦のうち。

サンフランシスコには、こういうゲイがいっぱいいるよーんという、世界に対する発信。

要は、溢れんばかりにディスコグループがデビューする最中、ベテランR&B、ソウル、ファンクグループ、シンガーが目白押しの中、、、

新規参入の新人が目立って話題になるには、何か営業戦略をたてないと無理。

ジャック・モラリの戦略は、見事にはまったと言えるでしょう(勿論、楽曲の良さがないと無理ですが)。


posted by 麻呂 at 16:13| ヴィレッジピープル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
ぴかぴか(新しい)こちらもおススメでするんるん
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