2015年01月07日

1975年 ドナ・サマーが日本で最初に名を売った 愛の誘惑 Love to Love You Baby 





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2012年に63歳でこの世を去ったドナ・サマーが、ディスコクィーンとまだ呼ばれる前の1975年に放った、彼女を世に知らしめた曲が、こちら「愛の誘惑」(Love to Love You Baby)。

何故?1975年当時は未だディスコクイーンとドナ・サマーが呼ばれていなかったか?と言えば、それは未だ!ビージーズの「サタディ・ナイト・フィーバー」やアバのヒット曲をとっかかりにした、世界的な空前のディスコブームが世の中で起きてなかったからで、日本でもそれ以前に比べると、踊り場、ディスコはかなり!一般的には知られるようになった遊び場で、まあ、1974~75年頃を「ディスコ元年」と位置ずけるのが、多分、おそらく、一般的ではないか?と思われますが、それでも!その後の空前のディスコブームに比べたら、相当マニアックな遊び場でした。

だから一般的にディスコクイーンとかいう呼び名って、未だなかったと記憶してます。

というか、当時はなんか「ディスコいこうぜ」っていう言葉のニュアンスがカッコ悪い、イモくさい感じで(笑)、まだ「踊り場」、、、「踊りにいこうぜ」の方が、響きが仲間うちの「スラング」っぽくてカッコ良かったと当サイト運営者は記憶しておりますが、これが1980年前後の空前のディスコブームになると、普通に誰もが「ディスコいこう!」と言い出してたり、ディスコクイーンなんてー言葉が一般的になったから、ドナ・サマーがそう称されるようになったと記憶しております。

まあ、こちら「愛の誘惑」(Love to Love You Baby)、、、全編!ドナ・サマーが喘ぎ声をだしてるだけと言ってもいい代物なのですが(笑)、それだけに余計話題性もあり、日本でもとても有名になった曲でしたが、実際に爆発的に売れたような記憶は、当サイト運営者はありませんね〜。なぎら健壱氏の「悲惨な戦い」とか、あのねのねの「つくばねの歌」みたいな感じでしょうかね?(笑)、、、。

「愛の誘惑」(Love to Love You Baby)は、キワモノでしたね。今の再評価は知りませんが。






posted by 麻呂 at 01:17| ドナサマー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月02日

日本のYMO、小室哲哉氏もその影響下にあったジョルジオ・モロダーが手がけた ドナサマー アイ・フィール・ラヴ DONNA SUMMER - I feel love (1977) HD and HQ





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北米アフリカンアメリカンのR&B、ニューソウル、ニューファンク中心だった「踊り場」シーンから、欧州圏の仕掛人のディスコサウンド、欧州圏や北米の白人達によるディスコサウンドが主流になりつつあった「ディスコ」に、1975年頃から変わりつつあったシーンの、ある種「決定版」と言える楽曲。

後にバブルと言われる時代のジュリアナ東京、更には!クラブシーン迄、脈々と流れるエレクトロニック・サウンドだけで作られるユーロビート、ディスコ・サウンドの元祖と言えるのが、こちら北米アフリカンアメリカンのドナ・サマーを起用した、正に!欧州圏、イタリアの音楽プロデューサー・作曲家・シンセサイザー奏者のジョルジオ・モロダーとピート・ベロットの手による、1977年発表の「アイ・フィール・ラヴ」( I feel love)だったと言えるでしょう。

日本のYMO、小室哲哉氏もその影響下にあったと口にいたしているほど、ジョルジオ・モロダーはその後のディスコ、クラブシーンのサウンドを変えてしまうほど画期的な「仕事」を成し遂げたわけですが、当のゴスペル・シンガーを目指していたドナ・サマーは1975年、彼女の出世作になった「愛の誘惑」(Love to Love You Baby)のエロチックな内容含め、ある種のセックス・シンボルにまで祭り上げられたことは、精神的に苦悩していたようで、この2年後!全米1位を獲得!ディスコクィーンの名を欲しいままにする「ホット・スタッフ」「バッド・ガール」の頃は、自分は敬虔なクリスチャンであることを強調、悔い改め生きたいと宣言したほど、その実像とパブリックイメージのギャップに、日本の「ザ・芸能界」にもよくある話しですが、ご本人は苦悩していたそうであります。

1980年、ドナ・サマーは結局、キッス、ヴィレッジ・ピープル、パーラメント等のカサブランカレコードから、ジョン・レノンの復帰作「ダブル・ファンタジー」を発表する、設立間もないゲフィン・レコードに移籍しています。





posted by 麻呂 at 18:44| ドナサマー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月05日

空前のディスコブーム時代の代表曲ともいえるドナ・サマーの ホットスタッフ Donna Summer- Hot Stuff





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2012年5月17日朝、フロリダ州でお亡くなりになりました、ドナ・サマー(享年63才)。

1980年前後の空前のディスコブームの頃、ディスコクィーンと名を馳せたドナ・サマーですがその芸歴は古く、1968年、ニューヨークの人気ミュージカル「ヘアー」(Hair)のオーディションに合格した所からはじまっており、こちら「ホット・スタッフ」(Hot Stuff) 「ホット・スタッフ」、「バッドガール」(Bad Girls)が連続大ヒットした(共に全米1位)1979年には、既に三十路を越えていたベテラン。

「ヘアー」(Hair)の海外ツアーに出演するため、一時ドイツへの移住を決めたドナ・サマーはソロ歌手としても活動していたそうですが、なかなか芽が出なかったそうですが、突然!転機が訪れます。

それは、後に日本でもお馴染みの映画「フラッシュダンス」「ネバーエンディング・ストーリー」「トップガン」の音楽を担当した、イタリアの音楽家、ジョルジオ・モロダーとの出会いで、ドナ・サマー=ミュンへンと一括りにされがちですが、ドナ・サマーは生粋のマサチューセッツ州ボストン生まれのアメリカンであり、彼女を見いだすのはミュンヘン(ドイツ)ではなく、イタリア人のジョルジオ・モロダー。

当サイトでも再三触れておりますが、案外、1980年代のユーロビート以前の70年代から、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、スウェーデン等の欧州勢の巨大アメリカディスコマーケットへの進出というのは顕著で(よって日本も)、ドナ・サマーもアメリカンでありながら、そんなシンガーの一人だったと言えます。



ジョルジオらが手掛けた、多分、フランスの3番目の妻ジェーン・バーキンと「ジュテーム」を吹き込んだセルジュ・ゲンスブールの影響ではないか?と当サイト運営者は推測しております、かなり当時としては助平ソング、Hだった(笑)吐息ばりばりの「愛の誘惑」ラブ・トゥー・ラブ・ユー・ベイビーで1975年、踊り場、ディスコシーンにドナ・サマーは颯爽と登場!、、、ここまでミュージカル「ヘアー」(Hair)のオーディション合格から、7年も!時間があるわけで、全く!「売れる」というのは大変な事であります。

まあ、こちら「ホット・スタッフ」(Hot Stuff) 、「バッドガール」(Bad Girls)を連続全米1位にし、ディスコクィーンと時の人になる1979年まで、ちょっと「愛の誘惑」のディスコヒットから間が空きますが、コンスタントにアルバム、シングルはその間もドナ・サマーは発表しており、その地道な活動あっての1979年の大ブレイクと言えますね。

ちなみにこちら「ホット・スタッフ」(Hot Stuff)のリードギターソロは、ドゥービー・ブラザーズ、スティーリー・ダンでお馴染み!ジェフ(スカンク)・バクスターでございます。



posted by 麻呂 at 16:59| ドナサマー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
ぴかぴか(新しい)こちらもおススメでするんるん