2014年12月23日

空前のディスコブーム以前のファンキーなヒット曲、アベレージ・ホワイトバンドの「カット・ザ・ケイク」CUT THE CAKE / AVERAGE WHITE BAND





【スマホに安心。タブレットに満足。信頼のバッテリーをお探しなら】


1974年、本拠地イギリスを離れアメリカに渡り、全米1位を獲得したシングル「ピック・アップ・ザ・ピーセズ」収録のセカンドアルバム「AWB」に続く1975年のサードアルバム「Cut The Cake 」のタイトル曲。当時の踊り場で「ピック・アップ・ザ・ピーセズ」と共に、もの凄く流行ったアベレージ・ホワイト・バンドの代名詞的な「カット・ザ・ケイク」(Cut The Cake )。

こちらアベレージ・ホワイト・バンドは1973年に、ドラッグとセックスに明け暮れてたらしい「ひきこもり」だったエリック・クラプトン復活の、古のロックファンには有名なレインボウコンサートのサポートを勤めた事でミュージッシャン関連で名を売ったようで、勢いにのってアメリカ進出したら、あれまー!なんと!全米1位を「ピック・アップ・ザ・ピーセズ」で獲得してしまった、後の空前のディスコブーム時代のビージーズやアバよりも先駆けになった、アフリカンアメリカンバンドではない(スコットランド出身)、当時としては珍しく、そして画期的だった白人ファンクバンド。

元々ブリティッシュロックというのは、60年代のザ・ビートルズ、ザ・ローリング・ストーンズしかりで、アメリカンミュージック、それも黒っぽいR&B、R&R、ブルースを模倣してできた音楽ですから、70年代になって当時アメリカで大流行りだったニューソウル、ニューファンクスタイルを、これも模倣したのであろうアベレージ・ホワイト・バンドの登場というのは、ある種の必然的な流れだったかもしれません。

ただ、アベレージ・ホワイト・バンドの人気が、日本の踊り場レベルとはいえ人気のピークだったのは(必ずしも一般洋楽ポップスファンには、リアルタイム受け入れられてなかった)、このへんで、この後の空前のディスコブームの頃は、他のそれ以前、踊り場で人気だった多くのシンガー、バンドがそうであったように、彼等も恩恵をウケていたとは言いがたい存在で、日本ではそのままユーロビートに流れ人気が90年代以降まで継続しましたが、世界的には既にディスコブームは終わった1982年には、一度彼等は解散しています(再結成しますが)。

ギターのヘイミッシュ・スチュワートは、後に元ザ・ビートルズのポール・マッカートニーのソロ活動のサポートギタリストを務めており、日本にも来ておりますので、踊り場、ディスコファンでなくても、ちょっとしたポール・マッカートニーファンなら、彼は観てる筈です。

posted by 麻呂 at 20:07| アベレージホワイトバンド | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月20日

スコットランド出身の白人ファンクバンドが1975年全米1位を記録した ピックアップザピーゼス Average White Band - Pick up the pieces



ネットショップの開業ならカラーミーショップ


わりと再結成後の映像と思われます。1975年、インスト曲としては異例の!しかもスコットランド出身の白人ファンク、ソウル、R&Bバンドで初の!全米1位をマークした「ピック・アップ・ザ・ピーセズ」。

当初はその名の通り、ホワイトバンド、白人バンドだったわけで、60年代の英国白人ロックバンドが、アメリカ黒人のR&B、R&R、ブルースに触発されていたのは、ちょっとした音楽ファンなら常識でありますが、こちらアベレージホワイトバンドも、1973年、英国の自宅大邸宅でドラッグとセックスに溺れる日々(愚者につき羨ましく、そして憧れてしまう。笑)を送るエリック・クラプトンを、再び音楽シーンに戻す為にフーのピート・タウンジェンド、ロン・ウッド、スティーヴ・ウィンウッド等が行なった、クラプトンの久々にライブ、「レインボウシアター」でのソレのサポートバンドに選ばれていたのが、このアベレージ・ホワイト・バンド。

こちらの映像のオリジナルメンバー、英国風スカート姿(?)のヘイミッシュ・スチュアートは、ザ・ビートルズのポール・マッカートニーの1990年前後のツアー&レコーディングメンバーに抜擢されてますので、ポールの日本公演で、ヘイミッシュを知らずとも、アベレージ・ホワイト・バンドを知らずとも、無意識にみてる方、日本にも大勢おりますね(笑)。



エリック・クラプトンのレインボウシアターライブで有名になった(一般的にではなく業界内で)アベレージ・ホワイト・バンドはその翌74年、アメリカNYに渡り、75年にこの全米1位、当時の日本の踊り場でも人気の高かった大ヒット曲を発表、大ブレイクするわけで、又、クラプトンもクラプトンで、74年にボブ・マーリーのカバー、「アイ・ショット・ザ・シェリフ」(I Shot The Sheriff)で、自身初の!全米1位を記録しており、こちらも当時の日本の踊り場ではよく使われていて、ロックに興味のない踊り場のツッパリ坊が、何故か?クラプトンのこの曲だけは!シングルレコードが家にあったなんて、今は昔の話しでございますが、あったんですね(笑)。

で、人気抜群のエリック・クラプトンがレゲエをカバーし大ヒットさせた事で、日本はじめアメリカ、そして世界にレゲエという音楽を認知させたわけで、下世話な話し、ボブ・マーリーには当然、莫大な印税、著作権料が入ってると思うので、この後、マーリーももの凄い人気者になるわけですが、音楽活動をするうえで苦労する「金」の工面には相当なったのではないかと思っております。

70年代初頭は、今もコアなファンには人気の高い、大型黒人ファンクバンドが次々デビューし、ニューファンクやニューソウルともどもアメリカで人気を得るわけで(日本ではあくまでも、一部の踊り場に通う、非行少年少女だけの未だムーブメントでしたが)、英国の白人ファンクバンドが、米国で、しかもインストファンクナンバーで1位になったという事実は、白人でもファンクが出来る売れる(ブルースもしかりですが)という白人の自信を得たでしょうし、同じ時期マイアミの白人黒人混成バンド、KC&ザ・サンシャインバンドの商業的大成功と共に、この後、70年代後半のビージーズの「サタディナイトフィーバー」以降の空前の!ディスコブームからその後のユーロビートで、白人達がファンクビートを取り入れたダンスミュージックを、やたらと!やるようになる、日本でも91年のバブル崩壊頃のジュリアナまで、流行に流行ったユーロビート、そしてレゲエ人気のとっかかりは、正に!この時代だったと言ってもよいと思われます。



posted by 麻呂 at 17:32| アベレージホワイトバンド | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
ぴかぴか(新しい)こちらもおススメでするんるん
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。