2012年12月18日

1976年全米1位を獲得したワイルド・チェリーの プレイ・ザット・ファンキー・ミュージック Wild Cherry Play That Funky Music





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ライブ映像をYouTubeで観ると黒人(管楽器)もおりますが、基本的には白人中心のファンクバンド、ワイルド・チェリーは、オハイオ・プレイヤーズやザップを育んだファンクの名産地、オハイオ出身。

こちら「プレイ・ザット・ファンキー・ミュージック」(Play That Funky Music)は、ワイルド・チェリーが放った1976年の全米1位ナンバー!日本の踊り場、ディスコでも大人気だった曲。おそらくアメリカの白人ファンクバンドでは初めて!売れに売れたバンドだと思われます(ゲット・レディのレアアースを白人ファンクバンドと位置ずければ、あちらの方が先ですが)。

とはいえ、情報の乏しい時代。ジャケットは色っぽい濡れた女性の唇にチェリーを挟んだソレ。普通に黒人のニューバンドのファンクナンバーだと、当時は思ってた人多いんじゃないかしらね?私はそうでした(笑)。



この前年、エリック・クラプトンのライブサポートで名を馳せたイギリスのアヴェレージ・ホワイトバンドの「ピック・アップ・ザ・ピーセズ」が、白人ファンクバンドで!しかも殆ど歌のないインストゥルメンタルの曲としては異例の全米1位を獲得したのと、こちらワイルド・チェリーが同じく全米1位の大ヒットを飛ばした歴史的事実が、おそらく白人達に、自分達にも16ビート、ファンクビートができるし、商業的成功も得られるんだと確信を持たせたソレ、1970年代末期から80年代初頭、その後のユーロビートで、白人層が商業的に大成功するとっかかちだったと、当サイト運営者は勝手に思っております(笑)。

おそらくキース・リチャーズがやっと!ファンク的なギターが弾けるようになったから(笑)「ブラック・アンド・ブルー」のアルバムトップにもってきた、キースのリズムギターがカッコいい、ザ・ローリング・ストーンズの「ホットスタッフ」は、同じく1976年の発表。





posted by 麻呂 at 17:37| ETC | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月15日

1970年代中期、人気のチャチャナンバーだったキャロル・ダグラス 恋の診断書 Doctor's Orders





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軽快なチャチャナンバー。この手の可愛い曲がリアルタイム、踊り場の女性達にはとても好まれ、どファンクが好きな女性って実はかなり少数だったように記憶しております。

こちら1974年に発表され、日本の踊り場でも大人気だった「恋の診断書」(Doctor's Orders)。歌うキャロル・ダグラスはR&Bファンには根強い人気を誇ってるサム・クックの従兄弟だそうで、音楽のみならずサム・クックのルックスの良さも血をひいてるようで、元々、少女モデルや子役をやっていたとか。

その後、シャンテルズ(Chantels)というガールズグループの一員として歌っていたそうですが、こちらはソロデビュー曲。いきなりアメリカでも日本でも売れたわけですが、当時のキャロル・ダグラスのマネージャーが「ネバー・キャン・セイ・グッバイ」(Never Can Say Goodbye)で踊り場ファンにはこちらもお馴染み!、グロリア・ゲイナーのマネジメントも手がけていたそうで、同じ1974年時期に同じようにヒット曲を出したキャロル・ダグラスとグロリア・ゲイナーをパッケージで売り出そうとしたのが、どちらかの癇にさわったようで、キャロル・ダグラスとグロリア・ゲイナーは犬猿の仲だとか、、、。

まあ、何時の時代も古今東西、女性と接する時は男の百万倍!の気配りをしないと駄目だという事で(汗)。このお二人の殆ど同じ時期のヒット曲、「恋の診断書」(Doctor's Orders)と「ネバー・キャン・セイ・グッバイ」(Never Can Say Goodbye)を聴き比べてみると面白いかもですね。ちょーっと微妙に似てる曲かな?と感じると思いますので、、、。





posted by 麻呂 at 16:42| ETC | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月10日

1970年代半ば頃までは、踊り場でよく使われていたアイク&ティナ・ターナー プラウドメアリー Proud Mary Live





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ショーターイム!、、、で、古の踊り場ファンにはお馴染みのナンバー!。プラウド・メアリー(Proud Mary)。

すんごいですねー!大騒ぎですね〜(笑)。ある時期から日本でもこの手のステージは珍しくなくなったので、わりと若い人はどうって事のない映像でしょうが、こんなガールグループ、この曲が発表された1971年当時、日本にはおりませんし、そもそも未だ一般的に日本で今ほど黒人音楽は認知されてなかった時代ですから。

オリジナルは白人ロックグループCCRで、こちらはもの凄く!ヒットしましたが、アイク&ティナ・ターナーは、この曲の少し前、ザ・ローリング・ストーンズのアメリカ公演のオープニングアクトに選ばれ世界的に名を知られるようになったようですし(結成は1960年だそうですが)、そのストーンズの「ホンキー・トンク・ウーメン」やザ・ビートルズの「ゲット・バック」もカヴァーしてたり、肌の色関係なく音楽に接していたのは、当時としては珍しいグループだったかも知れないです。

ティナ・ターナーとアイク・ターナーは夫婦でしたがその後、離婚(アイクの家庭内暴力が原因だったとか)。離婚後、ティナ・ターナーは一人で歌手、女優として活躍しておりますが、アイク・ターナーは2007年12月12日、カリフォルニア州サンディエゴ郊外サンマーコスの自宅で76歳で死去。死因は公表されていないそう。

古今東西問わず!人の人生、正に!色々でございます。

↓ティナ・ターナーとアン・マーグレットのプラウドメアリー

ANN-MARGRET TINA TURNER "THE ANN-MARGRET OLSSON SHOW"




posted by 麻呂 at 17:04| ETC | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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