2015年01月12日

マイケル・ジャクソンもエリック・クラプトンもカヴァーしたビハインド・ザ・マスクは、日本のYMOが打ち立てた金字塔



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わりと空前のディスコブームの1980年頃は、日本のイエローマジックオーケストラのテクノポップが使われてましたが、私的にはテクノポップのリズムは、どうも足も腰も動かないので(笑)壁の花でした。

まあ、今はあまり語られませんし、今の若い人にはわからないでしょうが、当時のテクノムーブメントというのは、髪型、ファッション、そしてサウンドと、それはそれは凄まじい!勢いがあり、イエローマジックオーケストラがその時代の寵児だったのは、疑いのない歴史であります。

で、そんなこんなで時は流れ、エリック・クラプトンがイエローマジックオーケストラの「ビハインド・ザ・マスク」(Behind the Mask)をアルバム「オーガスト」に収録したのが1986年。

既にクリーム時代と違い、カリスマギタリストとは言いがたいソロ活動を繰り返していたので、特にギタリスト、ギターファン達からは批判されていたクラプトンなれど、まだまだ天下の!クラプトン。天下の!あの!エリック・クラプトンが日本のイエローマジックオーケストラの曲をとりあげるのか?!と、それはそれは当サイト運営者は当時、おったまげたものでした(クラプトンまでテクノかよ〜とご批判のロックファンも多かったけど)。

まあ、後追いで知ったのですが、「ビハインド・ザ・マスク」(Behind the Mask)はマイケル・ジャクソンの空前の大ヒットアルバムになった「スリラー」に収録予定だった曲だそうで、色々「権利問題」でイエローマジックオーケストラ側と折り合いがつかない事もあって、結局、アルバム収録はならなかったわけですが、その頃マイケル・ジャクソンと仕事をしていたクインシー・ジョーンズ一派の音楽家、グレッグ・フィリンゲインズが、ボツになった「ビハインド・ザ・マスク」(Behind the Mask)を自身のアルバムでその後カヴァーしており、グレッグ・フィリンゲインズはその後クラプトンのサポートをやりだしのたで、おそらく彼とアルバム「オーガスト」のプロデュースのフィル・コリンズの薦めで、クラプトンは「ビハインド・ザ・マスク」(Behind the Mask)をカバーしたのでしょう。

当時のエリック・クラプトンは、クリーム時代から自分の好きなブルースのカヴァーを何曲かさせてくれれば(或いはオリジナル)、あとのアルバム収録曲はどうでもいい的な所がなきにしもあらずの人でしたし、自身初の全米ビルボード1位に輝いたボブ・マーリーのカヴァー「アイ・ショット・ザ・シェリフ」も、収録する時はレゲエもボブ・マーリーもクラプトンは知らなかったってな話しですから(汗)、クラプトンがテクノに興味があったとも思えないので、おそらく「ビハインド・ザ・マスク」(Behind the Mask)もイエローマジックオーケストラも、知らなかったかも知れないです。

例えば何か日本や日本のイエローマジックオーケストラに特別な思いがクラプトンにあれば、日本公演でファンサービスで「ビハインド・ザ・マスク」(Behind the Mask)は必ず!演奏するでしょうが、当時のクラプトンのライブ、わりとくる度に観に行ってましたが、日本公演でこの曲をクラプトンがやったのは、私は聴いた事がありません(あったらご免なさい。私個人が聴いた事がないので)。

だから、別に日本人の曲、日本のYMOの曲という意識は、クラプトンは最初から今の今迄、もしかしたらないのかもしれないです(汗)。マイケル・ジャクソンのアルバムでボツになった、サポートメンバーのグレッグ・フィリンゲインズも取り上げてた(クラプトンはマイケルが詞を追加したヴァージョンを歌ってます)、フィル・コリンズも推してる曲だから「やっただけさ」と言うかも知れないですね。

更に、フィル・コリンズと共にアルバム「オーガスト」の共同プロデューサーは、クリーム時代からクラプトンが絶大な信頼をもってる巨匠!トム・ダウトでしたし、「アイ・ショット・ザ・シェリフ」収録の「461オーシャンブールバード」もトム・ダウトのプロデュースでしたから、トム・ダウトが「エリック、面白いからやってみなよ」と言えば、クラプトンは即座に「イエス」だった事でしょう(推測ですが)。

で、アルバム「スリラー」でボツになったマイケル・ジャクソンの「ビハインド・ザ・マスク」(Behind the Mask)は、マイケルの死の翌年2010年に、マイケルの未発表曲を集めたアルバム「MICHAEL」で初めて収録、お披露目されました。↓こちらがそれですね。





まあ、2015年現在、アメリカビルボードチャートで1位を日本人が獲得したのは、後にも先にも1963年の坂本九氏の「スキヤキ」(上を向いて歩こう)だけですから、37週にわたり1位を記録したアメリカは元より、イギリス、オランダ、カナダ、スウェーデン、ドイツ、ニュージーランド、そして日本で1位を獲得した1982年末発売のモンスターアルバム「スリラー」に、「ビハインド・ザ・マスク」(Behind the Mask)がもし収録されていたら、、、と、当サイト運営者は思わずにはいられません。

posted by 麻呂 at 09:09| ジャクソン5 マイケルジャクソン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月04日

ジャクソン5名義最後の踊り場ヒットだったと思う ダンシング・マシーン ジャクソン5 Dancing machine Jackson 5 .MPG





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ジャクソン5がモータウン・レコード在籍時、ジャクソン5名義最後(モータウンを辞めた後、グループ名を使わせてもらえなくなりジャクソンズになる)の踊り場、ディスコヒットだったのが、こちら1974年の久々!全米2位をランクした「ダンシング・マシーン」 (Dancing Machine)。

1974~75年は踊り場からディスコ、R&B、ニューソウル、ニューファンクからディスコサウンドに変わりつつあった、わりと時代の変革期で、こちら「ダンシング・マシーン」 (Dancing Machine)発表時の1974年、ジャクソン5はスティービー・ワンダーの、こちらも踊り場、ディスコで人気だった「悪夢」で競演しており、又、コモドアーズのニューステップ!バンプのその名も「バンプ」「マシンガン」が大流行りしてた年。

で、翌1975年にはヴァン・マッコイのこちらもニューステップ!ハッスルのその名も「ハッスル」「ディスコベイビー」、そしてこの時期はマイアミからKC&サンシャインバンドが、踊り場、ディスコで連続ヒットを飛ばしていた時期。僅か数年前のポップで可愛い曲を歌ってた黒人アイドルグループ、ジャクソン5も時代の波にのって、随分とサウンドが変わったな〜なんて思ったものでありました。

勿論、マイケル・ジャクソンがこの後、1970年代後半、あれほど!大ブレイクをするとは、当時の蒼き当サイト運営者は、夢にも思っておりませんでした(笑)。





posted by 麻呂 at 17:15| ジャクソン5 マイケルジャクソン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月26日

今夜はドントストップ マイケル・ジャクソン Michael Jackson - Don't Stop 'Til You Get Enough





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70年代初頭、モータウン・レコードから連続ビルボードチャート大ヒットを記録し、華々しくデビューしたジャクソン5でしたが、同時期、ニューソウルと呼ばれるマーヴィン・ゲイやスティーヴィー・ワンダー等が確立した、シンガー、グループ、ミュージッシャンが自分の意思、メッセージーで作ったアルバム、楽曲にジャクソン5も感化され、それを目指したがるわけですが、映画「ドリームガールズ」を観た方ならおわかりなように、そもそもそのニューソウル路線は、モータウン・レコードのドン、ベリー・ゴーディ・ジュニアは反対していたやり方であり、ジャクソン5は60年代から続く「自分のやり方」で成功させた、最後とも言えるグループでしたので猛反発。

金銭的な問題も発生していたようで、結局、モータウン・レコードを1975年にジャクソン5は離脱。ジャクソン5はそのグループ名を使う事をモータウン・レコードから禁じられ、ジャクソンズと改名したわけで、正に!時代はR&B、ニューソウル、ニューファンク、フィリーソウルの踊り場から、マイアミサウンド、バンプ、ハッスル等を経由したディスコサウンド、「ディスコ」に流れていく時代の節目とも言える時。

ジャクソンズも又、マイケルに限らずメンバー個々も、それなりに踊り場、ディスコでも人気でしたが、モータウン時代のような全米ビルボードチャート1位、2位を記録するような大ヒットは出なくなり、よもはあの!マイケル少年が、その後のカリスマ的大スターになると、当時、踊り場、ディスコに出入りしてた方々は、おそらく思ってなかったのではないでしょうか?当サイト運営者はそうでした(笑)。



まあ、ドナ・サマーはじめ欧州圏の人間が北米アフリカンアメリカンを起用、プロデュースして大成功させたのと同じく、マイケルがソロとして、北米アフリカンアメリカン同志の巨匠!クインシー・ジョーンズにプロデュースされ、1979年、空前のディスコブームのど真ん中!発表されたアルバムが「オフ・ザ・ウォール」(Off The Wall)であり、こちら「今夜はドント・ストップ 」(Don't Stop 'Til You Get Enough)はA面1曲目。先行シングル発売された大ヒットナンバーですね。

「オフ・ザ・ウォール」(Off The Wall)はビルボード3位まであがる大ヒットアルバムになり、ジャクソン5以来のマイケルにとっての大ヒットであり、又、こちらは「自分の強い意思」で制作された、マイケル少年も、感化された、ジャクソン5も作りたかったニューソウルの、マイケルなりの完成アルバムだったと言えるわけで
、あまりのこの「オフ・ザ・ウォール」(Off The Wall)が売れたので、マイケルもクインシーも相当なプレッシャーだったのか?次のアルバム「スリラー」(Thriller)発表まで3年も!かかってしまったわけですが、「オフ・ザ・ウォール」(Off The Wall)と「スリラー」(Thriller)の爆発的な売り上げ、驚異的なロングセラーによって、マイケル・ジャクソン伝説ははじまったわけでありますね。





posted by 麻呂 at 22:54| ジャクソン5 マイケルジャクソン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
ぴかぴか(新しい)こちらもおススメでするんるん
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