2013年01月14日

ビージーズと共に空前のディスコブーム期、圧倒的人気を誇ったアバ ギミー!ギミー!ギミー! Abba - Gimme! Gimme! Gimme! (A Man After Midnight)





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70年代、北米R&B、ニューソウル、ニューファンクファンには、こちらも評判のあまり良くないスウェーデン、1980年前後の空前のディスコブームの主役の1グループでもあった、アバ(ABBA)の、こちらも大ヒット曲、グループの代表的なナンバーの、正に!ディスコブーム最中の1979年の「ギミー!ギミー!ギミー!」(Gimme! Gimme! Gimme!)。

まあ、乱暴に分けるとアフリカンアメリカン、北米のR&B、ニューソウル、ニューファンク、それに準ずる白人のやっていたサウンドが主に好まれていたのが1970年代半ば頃までの「踊り場」であり、欧州圏のアメリカンマーケット(結果、日本も)を狙った企画モノ、欧州圏グループ、白人グループのディスコサウンドが主に好まれたのが80年前後の「ディスコ」なわけですが、特に欧州圏、スウェーデン、そして全員白人のアバの大成功は、アラベスク、ザ・ドゥーリーズ、ノーランズ、ジンギスカンなど、所謂「キャンディポップ」(和製英語)と言われる、北米のR&B、ニューソウル、ニューファンクファンには眉をひそめられる(笑)欧州圏ディスコサウンドのフォロワーを、多々生み出したわけであります。

アメリカの音楽産業は巨大マーケット!そこに欧州圏のスウェーデンから、突然!爆発的に売れたグループが出たのですから、それに続け!となったのは商業的にも当たり前な成り行き。かのイギリスのザ・ビートルズがイギリス勢で初の!アメリカ制覇をはたした後、ブリティッシュロックの大遠征がやってくるのと似たような現象だったと思われます(音楽は全く異なりますが)。

で、勿論、欧州圏のディスコサウンドは北米のR&B、ニューソウル、ニューファンクを参考、模倣してたのは間違いないわけですが、ブルース、ブルーノート音階と西洋音階の持って生まれたメロディ、ハーモニーの差。これはかなり重要で、実は日本人も後者であり、日本で純粋なブルース、ファンクは大多数に受け入れられる事は未来永劫ない!ジャズ、ビバップと同じ、ブルースやファンクも特殊な人達の特殊な音楽であり、大衆に爆発的に売れる事は未来永劫ないと、当サイト運営者は思っているわけで、結局、踊り場があくまでもアンダーグラウンドムーブメント(のちのクラブに近い)だったのに対し、ディスコが大爆発したのはこのメロディ、ハーモニーの違いにあると思っております。

リズムだけ北米のファンクビート、16ビートを拝借し、それに欧州圏らしい哀愁のメロディ、ハーモニー、或いは唄いやすいメロハモを乗せる。更に!北米のモータウンやフィリーソウルで実践していた、壮大なストリングスでゴージャスさを演出したサウンドは、正に!日本人の琴線に触れるソレであり、おそらく北米でもこの手のサウンドが白人層にうけディスコブームが大爆発したのも、日本と同じだと思われます(アメリカ人と言っても、白人は欧州圏をルーツにした人が殆どだから)。

ちなみに一時、流行った小室サウンドも、方法論は所謂「キャンディポップ」に近いソレだったと思っております。肯定否定ではなく、客観的に。





posted by 麻呂 at 10:20| アバ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月08日

それまで踊り場に無縁だった人達も踊りまくった アバ ダンシングクィーン ABBA : Dancing Queen (HQ)





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アバ ダンシングクィーン ABBA : Dancing Queen (HQ)

まあ、このへんの曲をアップすると、コアなR&B、ソウル、ファンクファンからお叱りをうけたり、白い眼でみられそうですが(汗)、サイトタイトルが「ディスコ元年」という事で、60年代のR&Bが、どういう経緯で70年代にニューソウル、ニューファンクになり、そして所謂「ディスコサウンド」に流れたかを検証するサイトですので、当時、人気爆発だった!アバとビージーズを外すわけにはいかないので、そのへんはご勘弁という事で、、、。

2012年の今現在、50代半ば前後から上のポップスファンなら、ビョルンとベニーの「木枯らしの少女」というヒット曲があったのをご記憶の方、多いと思いますが、そのビョルンとベニーが奥様と恋人と結成したのが、このアバであり、又、アバがアメリカのグループではなく、スウェーデンのグループだという所に注目していただきたいわけです。

アバはビョルンとベニー時代の日本でのヒットでもわかる通り、欧州ではそれなりに人気のあったグループだったそうですが、この「ダンシングクィーン」(Dancing Queen)が1977年4月、ビルボード週間ランキング1位を獲得。一躍アメリカでも日本でも有名になるわけですが、注目する所はスウェーデンからの「踊れる楽曲」が、北米アフロアメリカン発の「踊れる楽曲」が溢れてる筈のアメリカで受け入れられ、大ブレイクした所。若きマドンナやレディ・ガガもアバに触発されたとかって話しですし、、、。

実際、世界的な空前のディスコブームが世界中で吹き荒れた70年代末期から80年代前半、本家北米アフロアメリカンものより、その後のディスコブーム終焉の「ジュリアナ」の頃までユーロビート、ミュンヘンとか、わりと欧州や白人達に北米アフロアメリカンものは商業的には「やられた」わけで、例えば70年前後のR&B、70年代前半の踊り場の頃は、これはありえなかった。

結局、その大きな流れの!とっかかりを作ったのはアバでありビージーズだったのかな?と、、、思ってる次第でございます。



posted by 麻呂 at 20:22| アバ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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