2013年01月01日

1970年代のチークタイムで大人気だった メリージェーン(つのだ☆ひろ)





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1970年代前半、踊り場に通っていた方なら、涙ちょちょ切れるチークの代表曲の1つ。つのだ☆ひろ氏の「メリー・ジェーン」。官能のギターソロは巨匠!成毛滋氏の不朽の名演であります!。

当サイト運営者が今も所有してる、シングル「メリージェーン」は、つのだ☆ひろ氏のルックスがよくわからないように、ぼかしの入ったソレで(笑)、随分レコード会社も失礼な事するなと今にして思えば思うわけですが、当時、当サイト運営者よりもう少し年上のニューロック世代の方々には、つのだ☆ひろ氏は天才ドラマーとしてジャズ・ピアニスト佐藤允彦トリオ、渡辺貞夫カルテットのジャズ畑、又、ジャックス、フライド・エッグ、ストロベリー・パス、初代サディスティック・ミカバンドのドラマーとして有名だったわけですが、そんな事は1973年、当サイト運営者と蒼き「うすらバカ仲間達」は知るよしもなく、、、

日本人なのにこんな洋楽みたいな英語の曲を作れ演奏出来る人って、どんな人なんだろうか?と、つのだ氏はTVに出てたわけでもなければ、「メリージェーン」はヒットチャートをかけあがっていたわけでもないので(脅威のロングヒットですが)、つのだ☆ひろ氏は、当時、私等の中では正体不明の方でありました(笑)。

「メリージェーン」は元々1971年、つのだ氏と成毛滋氏との「ストロベリー・パス」のアルバム「大鳥が地球にやってきた日」に収録されてたニューロックナンバーだったなわけで、ニューロックですからおそらく白人R&Bロックバンド(?)、プロコル・ハルムの「青い影」の影響下にあった曲と推測しておりますが、プロコル・ハルムはハードロック路線に行く前のディープ・パープルのアルバムにも影響を強く感じますし、レッド・ツエッペリン結成時、ドラマーにはプロコル・ハルムのB.J.ウイルソンをジミー・ペイジが考えていたのは(ウイルソンに断られたそう)、ハードロック、レッド・ツエッペリンファンには有名な逸話ですので、別段、「メリージェーン」がプロコルハルムの影響下にあったとしても、おかしな話しでもないわけであります。

作詞のChristpher Lyn(クリストファー・リン)というのは、成毛滋氏のフィンガーズのメンバーだった、高校までアメリカで育った帰国子女の蓮見不二男氏だそう(作曲はつのだ☆ひろ氏)。

「ストロベリー・パス」の後、つのだ氏と成毛氏の新バンド「フライドエッグ」のベースを担当したのが、若き高中正義氏だったのは、高中正義氏ファンの間では有名な話しですね。

1980年代がリアルタイム若者、少年少女だった方には、バカ売れした!TBS「男女7人夏物語」主題歌、石井明美さんの「CHA-CHA-CHA」のイントロ、"Baby, Get on my Cadillac."のセリフを言っていたのは、つのだ氏本人だそう。





posted by 麻呂 at 17:53| チーク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月24日

70年代チークナンバーとして大人気だった ジュ・テーム(モワ・ノン・プリュ) ジェーン・バーキン Jane Birkin & Serge Gaisbourg (Je t'aime... moi non plus)





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1970年代初頭頃の踊り場では、チームの定番だった1曲。ジェーン・バーキンの「ジュテーム」((Je t'aime... moi non plus)。

元々は1967年、ブリジット・バルドーと不倫関係にあったフランスの作曲家、作詞家、歌手、映画監督、俳優、セルジュ・ゲンスブールがバルドーの為に作った曲で、二人で録音もしバルドーの喘ぎ声も入っていたそうですが、不倫中のバルドーが当時の夫の怒りを恐れ、結局、この音源は世にでる事なく、二人の不倫関係は終わり、1969年、ゲンスブールの3度目の結婚相手、イギリス、ロンドン出身で俳優だったジェーン・バーキンの歌手デビュー曲として、再びセルジュ・ゲンスブールがバーキンと共に録音し発表した曲。

フランスでチャート1位を獲得、欧州全土でヒットし、日本でも未だアンダーグラウンドだった踊り場を中心に人気になり、踊り場シーンでは70年代中期頃まで、チークの定番としてロングヒットになっていました。

まあ、ゲンスブールの酒乱、家庭内暴力が理由でバーキンは後に離婚するわけですが(後に和解。仕事はゲンスブールが死ぬ迄ともに続けていた)、セルジュ・ゲンスブールはフランス人ですが、両親は帝政ロシアの「ロシア革命」から逃れてきたユダヤ人の子で、先の大戦後も召集があったフランスで召集→従軍→脱走→投獄経験。そして貧困ゆえあらゆる仕事を経験する中、音楽活動を続けていた経験やゲンスブール家のルーツが、彼の作風、人生に大きく影響してると思われますね。



posted by 麻呂 at 16:47| チーク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月08日

フィラデルフィアソウルの不倫ナンバー、ビリーポール ミーアンドミセスジョーンズ Billy Paul - Me and Mrs. Jones (ICP)



本当にほしかったのはこういうブログだったんだ




ビリーポール ミーアンドミセスジョーンズ Billy Paul - Me and Mrs. Jones (ICP)

1970年代初頭、一世を風靡し!日本の踊り場でも大人気だったフィラデルフィアサウンド、フィリーソウル。1971年ギャンブル&ハフが新たにフィラデルフィア・インターナショナル・レコーズ(PIR)を設立したのにともない、長いジャズ歌手としての下積みのあったビリー・ポールもPIRに移籍、2ndアルバム『Going East』を発表。翌1972年発表した3rdアルバム「360 Degrees Of Billy Paul」の中の一曲!エリック・クラプトンの「愛しのレイラ」か?大川栄策氏の「さざんかの宿」か?そしてビリー・ポールの「ミーアンドミセスジョーンズ」(Me and Mrs. Jones)かってぐらいの、世紀の不倫ソング。

全米でも大ヒットしたこちら、フィリーソウルお得意の!壮大で流麗な大オーケストラをバックに歌われた、日本の当時の踊り場でもチークタイムに使われ大人気だった「ミーアンドミセスジョーンズ」(Me and Mrs. Jones)によって、長い不遇時代をビリー・ポールは脱し、ニューソウル時代の寵児になったわけでございます。

が、時代が1970年代後半から80年前半の世界的なディスコフィーバーの頃と違い、未だ日本の踊り場はアンダーグラウンドだったし、黒人音楽も未だ未だマニアックの世界の音楽だったので、一般的にはビリー・ポールも、「ミーアンドミセスジョーンズ」(Me and Mrs. Jones)も、同時期、日本で大ヒットしたチューリップの「心の旅」や、かぐや姫の「神田川」のような、同世代なら誰もが知ってる楽曲という事ではない、リアルタイム踊り場で遊んでた連中以外、名前も曲名もでる事がまずないのが、ちと残念な、かなりの!名曲でございます。

posted by 麻呂 at 08:48| チーク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
ぴかぴか(新しい)こちらもおススメでするんるん