2015年02月11日

1970年代半ば頃迄に、本当に踊り場で遊んでた人しか今や知らない、ザ・テンプテーションズの「スーパースター」









1970年代中期頃まで、わりと踊り場で不良少年やズベ公に人気だった、ザ・テンプテーションズの「スーパースター」(Superstar (Remember How You Got Where You Are)。

基本この曲はフリーですが、ちょっと独特なステップがあったので、古のダンクライベントで、2015年現在、この曲で「そのステップ通りに」踊ってる初老中高年の方がおりましたら、その方は若き頃、相当な!真性「不良」だったと思って、若い方は間違いないです(笑)。

この曲は1971年に発表された曲で、この頃からザ・テンプテーションズはもータウン・レコードのノーマン・ホィットフィールドが提唱するサイケデリック・ソウルの、悪く言えば実験台になっていた所があり、「マイガール」のザ・テンプテーションズのファンの方々には、ちょっとその変革ぶりは驚きに値する時期であったと思われます。

まあ、古の踊り場ファンの方にはお馴染み!マーヴィン・ゲイの「悲しい噂」、エドウィン・スターの「黒い戦争 」等もノーマン・ホィットフィールドの手がけた作品で、ザ・テンプテーションズが、こちら「スーパースター」(Superstar (Remember How You Got Where You Are)と同時期に発表した、1971年の全米ビルボートチャート1位を獲得の「ジャスト・マイ・イマジネイション」は、この後、ザ・ローリング・ストーンズにカヴァーされていたので、ちょっとしたロックファンにもお馴染みだと思いますし、又、この翌年発表された、こちらも全米ビルボードチャートで1位に輝いた「パパ・ワズ・ア・ローリン・ストーン」は、ノーマン・ホィットフィールドのサイケデリック・ソウルの集大成だったと思われます。





こちら「スーパースター」(Superstar (Remember How You Got Where You Are)は、未だ未だアンダーグラウンドの世界、見渡せば非行少年とズベ公ばかりだった当時の踊り場で、とても人気が高かった曲でしたが、1970年代も半ばになると、新しいディスコサウンドが沢山でてきたので、DJさんもナウな新曲を使わないといけないですし、時間的制約もあり、それ以前の踊り場で人気だった曲は、徐々にカットされる傾向にあったので、こちら「スーパースター」(Superstar (Remember How You Got Where You Are)も、1980年前後の空前のディスコブームの頃は、完全に忘れ去られてしまいましたが、当時、別にアメリカでもそれほど大ヒットしたわけでもないこの曲を、踊り場で使ってたDJさん達のセンスには、当サイト運営者、今も脱帽いたします。

なんたって!、、、♪すーぱーすたー ぐっごー ですよ?(笑)。♪ぐっごー と言えば!ジェームス・ブラウン。ジェームス・ブラウンの「セックス・マシーン」や「スーパー・バッド」と共に、この曲は1970年代半ばまで、踊り場でとても!人気が高かったのです。

posted by 麻呂 at 17:05| テンプテーションズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月09日

R&Bグループから、サイケロック、ファンク化に成功したテンプテーションズの ハッピーピープル


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踊り場からディスコに様変わりしつつあった1975年、今のダンクラファンには人気の「グラスハウス」と共に、当時の踊り場、ディスコで人気だったザ・テンプテーションズの「ハッピー・ピープル」(Happy People)。

1970年代初頭から中期にかけて、それ以前のR&Bグループ、ザ・テンプテーションズは、まるで別グループのように、当時流行りのニューファンクの影響を強くうけた楽曲を発表、大御所として君臨しておりましたが、結成当時からのメンバー、エディ・ケンドリックス、ポール・ウィリアムスが脱退(ポールは1973年死亡)と、変革があった時代でありました。





posted by 麻呂 at 18:54| テンプテーションズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月01日

ブギーダウン エディ・ケンドリックス Boogie Down (1974 LP Version)





ザ・テンプテーションズから離れソロになったエディ・ケンドリックスが、1972年、全米1位の「キープオン・トラッキン」(Keep On Truckin')に続き、1974年、全米ビルボードチャート最高位2位!、黒人音楽が今のように浸透していなかった日本では、未だ未だ踊り場レベルでしたがヒットさせた「ブギー・ダウン」(Boogie Down)。

有名な「マイガール」(1964年)で、リードボーカルを担当していたデヴィッド・ラフィンが1968年にグループを脱退。その後も後にザ・ローリング・ストーンズがカヴァーしたのでロックファンにも有名な、「ジャスト・マイ・イマジネイション」も1971年全米1位にしたザ・テンプテーションズですが、更にオリジナルメンバーのエディ・ケンドリックスがグループを脱退。

デヴィッド・ラフィンとエディ・ケンドリックス居ないザ・テンプテーションズなれど、電子楽器を使いファンクとロックの融合(フュージョン)を図っていたスライストーンに感化されていた、モータウン・レコードのエンジニア、プロデューサーのノーマン・ホイットフィールド色強い!「パパ・ワズ・ア・ローリン・ストーン」で、グループは翌1972年、再び!全米1位を獲得するのですから、当時のモータウン・レコードは凄いもんであります。

更には!そんな70年代に入っても絶好調だったザ・テンプテーションズの、エディ同様もう一人のオリジナルメンバー、ポール・ウィリアムスは1973年、拳銃自殺。

エディ・ケンドリックスの「ブギー・ダウン」(Boogie Down)は、そんな時代背景に踊り場でヒットした、こちらもR&Bからニューソウル、ニューファンク、そしてこれからディスコサウンドに流れる「時代の分岐点」の楽曲なのであります。







posted by 麻呂 at 16:54| テンプテーションズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
ぴかぴか(新しい)こちらもおススメでするんるん
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