2015年01月11日

ダイアナ・ロスのディスコブーム期の大ヒットナンバー! アップサイドダウン Diana Ross - Upside Down









1970年代前半から中盤の踊り場、ディスコと言えば、ダイアナ・ロスが所属していたシュープリームス抜きに語れないわけですが、、、

現実には1970年にはダイアナ・ロスはシュープリームスを脱退しており、彼女が抜けたあともシュープリームスは「ストーンラブ」という踊り場ヒットを放ちましたが、その後はパッとせず、新たにフィリーソウル、フィラデルフィアのスリー・ディグリーズがシュープリームスに代わる女性コーラスグループとして人気になったわけですが、1970年代中期頃までは、ダイアナ・ロス在籍時代のシュープリームスの曲は、まだまだ踊り場で使われておりましたので、本当はリアルタイムのダイアナ・ロス在籍時のシュープリームスを、1970年代半ば頃、踊り場で遊んで人達は知らない筈なのに、とても!馴染み深いグループになっています。

ソロになってからのダイアナ・ロスは「タッチ・ミー・イン・ザ・モーニング」「マホガニーのテーマ」の大ヒットや、マービン・ゲイとの競演アルバム「ダイアナ&マービン」とその中のシングルカットの踊り場ヒットによって、巨匠の道を歩みだしたわけですが、1970年代半ばから空前のディスコブームに突入した70年代後半、それまで活躍していた他の多くのグループ、シンガーがそうであったように、ダイアナ・ロスもまた「ラブ・ハングオーバー」のヒットがあったとはいえ、必ずしも!空前のディスコブームの恩恵に預かっていた、漁夫の利を得ていたとは言えなかったんですね。

そんなダイアナ・ロスが空前のディスコブームの1980年当時、売り出し中だった人気グループ、シックのギタリスト、ナイル・ロジャースとベースのバーナード・エドワーズをプロデュースに作ったアルバムが、こちらアルバムタイトル曲がシングルカットされ、当時のディスコでも大人気になった「アップサイドダウン」(Upside Down)。

当初はモロに!シックサウンドにダイアナ・ロスの声が乗る仕上がりだったそうですが、そこは巨匠!ダイアナ・ロス、ミキシングをやり直したそうで、そのへんシック側とダイアナ・ロス側で一悶着あったようですが、結果!このアルバムもシングルも売れましたから、ナイル・ロジャースも色々思う所があったみたいですね。

結果的にこの一悶着は、この後ナイル・ロジャースがプロデューサーとしても大成功を収める事になる、良い経験になったのかもしれませんね。

モロにナイル・ロジャース、シックサウンドを全面にだすのではなく、そのシンガー、グループ、ミュージッシャンのキャラ、持ち味を全面に出すサウンド作り。例えそれが、言われてみればと後からナイル・ロジャースっぽい、シックっぽいと人が感じても、それを最初から全面には出さないサウンド作り。

ナイル・ロジャースはダイアナ・ロスとの一悶着で、これを生んだのではないでしょうかしらね?、、、。

ダイアナ・ロスはこの大ヒットに続いて、コモドアーズのライオネル・リッチーとのデュエット「エンドレス・ラブ」によって、空前のディスコブームのど真ん中に思春期を送ったコ達にも、リアルタイムでその圧倒的な存在感を示し、今に至る巨匠!の座を揺るぎないものにしたわけですね〜。

posted by 麻呂 at 08:25| シュープリームス ダイアナ・ロス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月18日

ダイアナ・ロスのいないシュープリームスの唯一の踊り場ヒット ストーン・ラブ The Supremes Stoned Love





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The Supremes 1970 - "Stoned Love" MOTOWN-46

ダイアナ・ロス脱退後でも、シュープリームス名義として日本の踊り場で人気になった、こちら「ストーン・ラブ」(Stoned Love)は最後の曲だったと思っております(1970年、全米7位)。

1970年代前半の踊り場は、60年代のモータウンサウンド、テンプテーションズ、フォートップスと共にシュープリームスの曲も非常に好まれ使われており、「ストーン・ラブ」(Stoned Love)もダイアナ・ロス在籍時のヒット曲同様、当時のツッパリ坊やズベ公、アイビーに好かれていたナンバーでした。

が、1974~75年頃からのR&B、ニューソウル、ニューファンク、フィリーソウル(フィラデルフィアソウル)から所謂ディスコサウンドへの流れ、踊り場からディスコに流れる時代になると、より新しい楽曲、シンガー、グループが好まれだし、「ストーン・ラブ」(Stoned Love)を最後にヒット曲がでなくなったシュープリームスは影が薄くなり、他の多くのシンガー、グループがそうであったように、1980年前後の空前のディスコブーム期には「軒を貸して母屋をとられる」、完全にブーム期の「ディスコのコ」達に、シュープリームスは忘れ去られておりました。





posted by 麻呂 at 11:22| シュープリームス ダイアナ・ロス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月24日

ダイアナ・ロス&シュープリームス ラブ・チャイルド Diana Ross & The Supremes - Love Child





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テンプテーションズやフォートップスと共に、60年代のヒット曲も1970年代初頭、半ば頃まで踊り場で使われていたザ・シュープリームス。だんだんR&B、ニューソウル、ニューファンクから所謂ディスコサウンドが主流ninaru70年代後半になると、ディスコフリークは音楽もファッションもプレイスポットも「新しもの好き」で「移り気」だったので(笑)、なんとなーく1980年前後の空前のディスコブームの頃には、追いやられてしまった楽曲の1つであります。

まあ、映画「ドリームガールズ」を観た方ならわかる通り、モータウン・レコードのドン、ベリー・ゴーディ・Jr.がダイアナ・ロスだけ前面に押し出す売り方に不満を募らせていたフローレンス・バラードが、諸々の問題とアル中に陥った事で解雇。フローレンス・バラードは正に!これから空前のディスコブームが世界で吹き荒れる前夜、1976年に死亡。

一方、ザ・シュープリームスはフローレンスに代わりシンディ・バードソングが加入、グループ名も更に大胆に!ダイアナ・ロス&ザ・シュープリームスにかえた、こちらはそのメンバーによる、ダイアナ・ロス&ザ・シュープリームス名義の1968年発表の「ラブ・チャイルド」(Love Child)。チャチャですね。

結局、ダイアナ・ロスはこの翌年、グループを脱退、ソロ歌手として70年代もその人ありになるわけですが、ダイアナ・ロスの代わりにジーン・テレルを加え、唯一のデビュー時オリジナルメンバーのメアリー・ウィルソンをリーダーに、1970年代初頭には踊り場ヒット「ストーン・ラブ」など放ちましたが、フィラデルフィアで台頭してきた同じ女性三人組のスリー・ディグリーズに人気を奪われていた感は否めず、度重なるメンバーチェンジ後、いち早く離脱した(解雇)オリジナルメンバーのフローレンス・バラードの死の翌1977年、最後のオリジナルメンバーだったメアリー・ウィルソンが独立。

ザ・シュープリームの栄光の歴史は、ここで終っております(メンバーを替えたり、再結成企画など、どれも上手くいってはおりませんが、アメリカショービジネスらしく、活動は今も続いてるようですが)。

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posted by 麻呂 at 17:10| シュープリームス ダイアナ・ロス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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