2013年02月11日

1970年代初頭、踊り場で大ブレイクしたフィラデルフィアソウルの金字塔! ソウル・トレインのテーマTSOP(The Sound Of Philadelphia) /MFSB 





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軽快なチャチャナンバーであり、TV「ソウルトレイン」のテーマに採用された有名な!楽曲ですね。

TSOP、その名も!The Sound Of Philadelphia。まあ、モータータウン、デトロイトのモータウン・レコード(後、LA)のハウスバンド、ファンク・ブラザーズ、スタックス・レコードのブッカー・T&ザ・MG'sと同じ、フィラデルフィアのシグマ・サウンド・スタジオで、PIRことフィラデルフィア・インターナショナル・レコード、所謂フィリーソウル、フィラデルフィアサウンドを作っていた、総勢数十人による大所帯ハウスバンド、MFSB (Mother Father Sister Brother)と、コーラスにスリー・ディグリーズによる1974年、見事に!全米No1位を記録したナンバー!。

唯、コアな黒人音楽ファンには、スタックス・レコードのブッカー・T&ザ・MG'sや、モータウンのファンク・ブラザーズに比べると、ややもすると過小評価されがちなフィリーソウルのMFSB (Mother Father Sister Brother)。これだけ!人数が多い理由は、フィリーソウルの特徴、代名詞でもある壮大なオーケーストラによる流麗でゴージャスなサウンド(それをファンクビート、16ビートに乗せる手法)、後に、人件費をかけずにテクノロジーを駆使した打ち込みのディスコサウンドで、その方法論は模倣され今のクラブミュージックにまで継承されてる、そのアナログ元祖が!こちらMFSB (Mother Father Sister Brother)なわけであります。



posted by 麻呂 at 18:08| スリーディグリーズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月14日

アメリカより日本で先に人気グループになったスリー・ディグリーズの日本初ヒット!荒野のならず者 スリーディグリーズ The Three Degrees - Dirty Ol' Man (1974)




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チャチャの名曲。1973年、日本で最初に踊り場で人気になり、ラジオのヒットチャートでも注目されたのが、こちら「荒野のならず者」(Dirty Ol' Man )。この後、1974年に東京音楽祭世界大会金賞受賞という事もあってか?「天使のささやき」(全米1位全英1位)が日本のポップスシーンでも大人気になり、当時の日本では珍しく!黒人ガールグループがお茶の間(歌番組&CM)にまで浸透しました。

しかしこの「荒野の」という邦題。少し前に流行ったマカロニウエスタンを、最初に曲を聴いたレコード会社の方は感じたのかしらね?(笑)。その気持ちわからないでもない、とても日本人受けする哀愁のメロディ、曲調であり、この曲、アメリカではあまり売れなかったそうで、次の「ソウルトレインのテーマ」でスリーディグリーズはアメリカでチャート1位を獲得、大ブレイクしてるので、日本の当時の踊り場シーンの方がアメリカより早くスリーディグリーズを認め評価してる事になります。

というか「世界の恋人」と謳われていただけあり米英に限らず、世界中でレコードを発売してたスリーディグリーズですが、日本が一番人気があったのではないでしょうか?。かつてコニー・フランシスやフランス・ギャル、シルヴィー・バルタンが日本語でレコードを吹き込んでたように、スリー・ディグリーズもこの後、「苦い涙」を日本語で発表(作詞、安井かずみ。作曲、筒美京平)。同じく筒美京平氏作、日本のティンパンアレイが演奏してる「ミッドナイトトレイン」が発表され、それなりに日本でヒットさせてますから。



ただ、では踊り場、ディスコで「苦い涙」や「ミッドナイトトレイン」が、それ以前の曲のようにウケていたか?というと、当サイト運営者の体感では、あまり感じられなかったですね。

踊り場、ディスコのお客さんは移り気ですから(だから人気になってもすぐ踊り場、ディスコは廃れ潰れていた)、「バンプ」や「ハッスル」、各種バスストップがもてはやされ、KC&ザサンシャインバンドがブレイクしたりしてたので、なんとなーく、スリーディグリーズの「苦い涙」や「ミッドナイトトレイン」は、それらに押され、こちらの「荒野のならず者」(Dirty Ol' Man)、「ソウルトレインのテーマ」「天使のささやき」等が踊り場、ディスコで大人気だった頃より、停滞してた記憶が残念ながらあります。

まあ、そんな流れで、映画「サタディナイトフィーバー」の大ブレイクで1970年代末期から80年代初頭、空前のディスコブームが日本でも吹き荒れた頃は、スタイリスティックス等同様にスリーディグリーズも又、なんとなーく消えていた、そのブームに乗る事はなかったように記憶しております。



posted by 麻呂 at 18:59| スリーディグリーズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月05日

日本で初めて肌の黒い女性グループが、お茶の間人気にもなったのは彼女達だ! スリーディグリーズ 天使のささやき When will I see you again Three Degrees





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1974年、スリーディグリーズが放った、こちらも不朽の!チャチャの名曲。

これぞ!フィラデルフィア・インターナショナル・レコード(PIR)創作、フィラデルフィアソウル!フィリーサウンド!と感じる、重厚なストリングスとコーラスが非常に美しい流麗なナンバーですね♩

スリーディグリーズは1973年にフィラデルフィア・インターナショナル・レコード(PIR)と契約を結びますが、結成は古く60年代のR&Bの時代からグループは歌っていたそうで、フィラデルフィア・インターナショナル・レコード(PIR)と契約する直前、1972年のアカデミー賞受賞作品「フレンチコネクション」のクラブシーンで当時のスリーディグリーズの、映画の中とはいえステージシーンが観れますので、それなりに世界、日本で名を馳せるほどのヒット曲はなかったにしろ、映画に出演してたのですから、アメリカではそれなりに知られたグループだったのでしょう。

フィラデルフィア・インターナショナル・レコード(PIR)と契約を結びすぐに!「荒野のならず者」を大ヒットさせ、日本にもその名を知らしめたスリーディグリーズの、こちら「天使のささやき」はその次の大ヒット曲で、実はこの曲は日本で開催された74年、第3回東京音楽祭、金賞受賞曲なんですね〜。

日本のTV番組にも出演したり、ステレオのCMにも出たり(確か曲は「愛はメッセージ」だったと思います)、筒美京平氏とティンパンアレイとレコーディングしたり(ミッドナイトトレイン)、日本に当時最も!馴染み深かったアメリカの黒人グループだったので、当時は未だ未だツッパリ坊やズベ公の吹きだまりゆえ(笑)、怖くて踊り場にいけなかったコ達でも、スリーディグリーズは、日本のマスメディアでこのように頻繁に紹介されていたので認知度も高く、よって日本でも「世界の恋人」スリーディグリーズのシングルレコード、アルバムは、洋楽の中では、特に未だ黒人音楽の認知度の低かった時代にしては、稀にみる好セールスを記録しております。



posted by 麻呂 at 07:04| スリーディグリーズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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