2019年10月11日

スリー・ディグリーズ 幸せの季節 The Three Degrees - Year of decision (Ruud's Extended Moulton Edit)



スリー・ディグリーズが、踊り場シーンで大人気だった頃、チャチャナンバーとして、人気だった1曲が、こちら「幸せの季節」。

思えば当時のスリー・ディグリーズの踊り場ヒット曲、、、

「ソウルトレインのテーマ」「荒野のならず者」「天使のささやき」、、、

そして「幸せの季節」と、みんなステップは、チャチャでしたね(笑)。

で、「幸せの季節」って「ソウルトレインのテーマ」「荒野のならず者」「天使のささやき」と違い、日本でシングルカットされてない。

アルバムの中の1曲を、当時のDJは探して使ってたんですから、やはり当時の踊り場のDJは、センスが良かったなーと、

つくづく思う今日この頃。

更に、凄いことにこのへんのスリーディグリーズの一連の踊り場ヒットって、1974年に集中してる事。

若きあの頃の1年の、なんと長かったことか(笑)、、、。





posted by 麻呂 at 08:28| スリーディグリーズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月29日

スリー・ディグリーズの最後の踊り場ヒットは1976年の「ドゥ・イット」。The Three Degrees-Do It




当サイトでも再三再四ほざいてますが、スリー・ディグリーズが踊り場で爆発的に人気があったのは1974年。

1975年はその勢いも引き継いでおりましたが、案外、日本製フィリーソウル「ミッドナイト・トレイン」「苦い涙」は、歌謡芸能の世界、一般洋楽ファンには支持されておりましたし、それなりに売れたと思いますが、、、

必ずしも踊り場では支持されてませんでした(だから昨今のダンクライベントでも、殆ど使われない)。

次に出された「恋はシャンソン」も、いまいち踊り場では人気が不発で、スリーディグリーズの踊り場人気は下降していきました。

スリーディグリーズに限らず、フィラデルフィアサウンド、所謂フィリーソウル全体が、結果的にはその後の空前のディスコブームの序章とも言えた1975~76年になると、人気に陰りが見え始め、、、

1980年前後の世界的な空前のディスコブームで、フィリーソウルは漁夫の利を得る事ができなかったわけです。

フィリーソウルの人気のピークは1972~74年頃。

スリーディグリーズやオージェイズと共にフィリーソウルの人気者だったスタイリスティックスも、アメリカでのトップ40ヒットは1974年が最後(日本ではヴァン・マッコイとの仕事以降の「愛がすべて」がその後も踊り場で人気だったが)。

そんなスリーディグリーズが踊り場、既にディスコと呼ばれるようになりつつたった1976年、当サイト運営者は「最後の踊り場ヒット」と実感してるのが、こちら「ドウイット」(Do It)。


聴いてもらえばわかる通り、「ドウ・イット」(Do It)は完全な!ディスコサウンド。

1974年頃の、流麗で壮大なオーケストラの奏でるフィリーソウルとはかなり違います。

が、踊り場でスリーディグリーズの新譜が、久々に人気になった曲でした。

この後、だいたいステージも写真も向かって左側だったフェイエット・ピンクニーがグループを脱退。

グループもレコード会社を移籍。

ディスコブームのイタリアの仕掛け人!、ドナ・サマーをディスコクイーンに仕立てたジョルジオ・モロダーが、1978〜79年の正に!世界的な空前のディスコブーム突入の頃、スリーディグリーズをプロデュースします。

が、「恋にギブ・アップ」が少し日本のディスコでも使われたような記憶がありますが、もはやスリー・ディグリーズがディスコで人気者になる事はなかったですね。

posted by 麻呂 at 00:00| スリーディグリーズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月25日

天使のささやきの大ヒット後の、スリーディグリーズの「愛はメッセージ」(Love Is The Message)



こちら1974年末に発表された「愛のメッセージ」(Love Is The Message)。

スリーディグリーズご本人達が登場した、シャープのステレオ、オプトニカのCMにも起用され、お茶の間でがんがん流されました。

なので、全く音楽に興味のない人達、興味があってもR&B、ソウル、ファンクを全く知らない人達(当時はとても多かったし、それが普通だった)でも、TVのブラウン管を通して、スリーディグリーズと「愛のメッセージ」(Love Is The Message)を目にし耳にしておりました。

今も昔もTV、地上波の影響力というのは絶大なものがあるので、おそらく日本で最初に「お茶の間」で多くの日本人に認知された黒人コーラスグループは、スリー・ディグリーズだったと、当サイト運営者は思っております。


当サイト運営者も後から知りましたが、アカデミー賞受賞作品「フレンチコネクション」(1971年度作品。日本公開は72年)に、ブレイク前のスリー・ディグリーズはクラブ歌手として出演しておりました。

が、スリーディグリーズがまず日本でその名を轟かせたのは、当時は未だ未だアンダーグラウンドだった踊り場。

アメリカでは必ずしもヒットしなかった、「荒野のならず者」がヒットした1974年春から夏にかけてでした。

この時点では、未だ当時はアンダーグラウンドの踊り場の狭い世界でのムーブメントだったわけですが、次の「ソウルトレインのテーマ」が全米ビルボードチャートで1位。

アメリカでもスリー・ディグリーズは大ブレイク。

それにより、当時日本に沢山いた全米ビルボードマニアの目と耳にスリーディグリーズも、フィラデルフィアサウンドの要の楽団MFSBも、とまります。

それでも!今や若いR&B、ソウル、ファンクファンには「名盤」と位置ずけられてる当時の他のニューソウル、ニューファンクもしかりでしたが、、、

アメリカと違い、実はリアルタイム当時ニューソウル、ニューファンクは、日本ではそれほど若者達に支持されておらず(それ以前のR&Bしかり)、「ソウルトレインのテーマ」も、それほど日本では売れませんでした(踊り場では大人気でしたが)。

なんたって当時の日本は、歌謡史に残る空前の!和製ふぉーくブームの渦中。

彼等を取り上げた音楽雑誌も売れまくっていたので、普通の若者達は皆、吉田拓郎氏や井上陽水氏、かぐや姫等に靡いて(ある種、神のごとく!崇拝していた)、洋楽ファンもポップスやロックは好んでいても、殆どR&B、ニューソウル、ニューファンクは知らなかったのが実態でしたから。

で、この状況が一変するのが1974年秋、次に出された「天使のささやき」が日本の第3回東京音楽祭で金賞を受賞。

引き続き、踊り場でも「天使のささやき」は大ブレイクしました(アメリカでも大ヒット)。

一般的に日本では、この金賞受賞によってスリーディグリーズの知名度はあがり、「天使のささやき」は日本語ヴァージョンも発売。

日本のTVの歌謡芸能番組にもスリーディグリーズは登場。

そして同年末に発売された、こちら「愛のメッセージ」(Love Is The Message)はCMにも起用される事になり、スリーディグリーズはお茶の間でもお馴染みになり、老若男女問わず!その存在を知られるようになりました。

正に!スリーディグリーズの日本での人気はこの時期、最高潮。

それまで白人シンガー、白人グループで、こういうムーブメントは日本でも起きた事はありますが、肌の色が黒いシンガー、グループが、これほど!一般的に日本のお茶の間、歌謡芸能の世界で人気者になったのは、過去になかったと、当サイト運営者は思っております。


が、皮肉な事に踊り場でスリーディグリーズの曲が抜群の人気を誇っていたのは、この1975年初頭ぐらいまで。

続く日本の筒美京平氏作曲、ティン・パン・アレイの演奏の和製フィラデルフィアサウンドの「ミッドナイトトレイン」、日本語歌詞の「苦い涙」は、話題性もあり、一般的にはかなり注目されておりましたが、、、

この2曲が当時、踊り場で人気だった記憶が、当サイト運営者は全くありません。

個人的感想ですが、当時の踊り場で遊んでた若者達(子供も)は、ある種の「特権意識」がなきにしもあらずで、周りが知らないブラックミュージックを自分達だけは知ってる。

自分達が、音楽もファッションも遊びも最先端をいってるという自負が、かなりあったので(実際そうだったと思います)、お茶の間の人気者になり誰もが知ってるスリーディグリーズは、ちょっと彼等彼女等に引かれたような気がします。

又、スリーディグリーズに限らず、MFSBの大オーケストラを従えヒット曲を連発、一世を風靡したフィラデルフィアサウンド(フィリーソウル)の、今もダンクライベントで使われる「名曲」達は1975年頃までがピーク。

かわって、マイアミのKC&ザ・サンシャインバンドの「ゲットダウン・トゥナイト」「ザッツ・ザ・ウエイ」が踊り場でこの頃は大人気。

当時の、音楽もファッションも遊びも、自分達が最先端をいってるという自負のあった踊り場の若者達(子供も)は、良くも悪くも「新しもの」好き、、、。

で、わりとその世界では伝説的に語られる当時の踊り場が、実はけっこう最盛期の寿命はどの店も短かった原因も、このへんの、当時の踊り場で遊んでた連中の「気質」が原因でした。

なので、スリーディグリーズの曲は1975年当時も踊り場、ディスコでは使われておりましたが、1974年頃の勢い、支持は失われつつあったような記憶が、当サイト運営者はあります(他フィリーソウルも)。

「新しもの」好き達にとって、当時のフィラデルフィアサウンド、フィリーソウルは、もはや「新しくなくなった」わけです、、、。

ファッションがアイビーが廃れコンチが流行りだしたのと、感覚は似てるかも、、、。

お店も「話題」(と言ってもあくまでも口コミ)のナウい「新しい店」に、どんどん流れ、口コミで「終った」もはや「ださい店」には、踊り場通いの若者達は、とても冷淡でしたし(汗)。

昨今のダンクライベントでも、スリーディグリーズと言えば「荒野のならず者」「天使のささやき」が定番になっております。

が、この2曲に、にこちら「愛のメッセージ」(Love Is The Message)と「幸せの季節」2曲を加えた4曲が、1974年当時、踊り場で抜群の人気を誇っていた頃の、スリーディグリーズの代表曲でした。

posted by 麻呂 at 00:09| スリーディグリーズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
ぴかぴか(新しい)こちらもおススメでするんるん
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