2014年02月11日

KC名義のグループ名での初踊り場ヒットはこの曲! ファンキー・ホーン KC&ザ・サンシャイン・バンド Funky Horn KC&The Sunshine Band



【意外と知らないIT用語】 ドメインって何? お名前.com


昨今のケントスやダンクライベント等でも人気の高い、古のマイアミサウンド、マイアミソウルのKC&ザ・サンシャインバンドが日本で有名になるのは(当時は未だ未だ!踊り場でのアンダーグラウンドな出来事でしたが)、こちらファンキーホーン(Funky Horn)から。

KC&ザ・サンシャインバンドは1973年に結成されておりますが、面白いのがイギリス人のエリック・クラプトンがジャマイカのボブ・マーリーの「アイ・ショット・ザ・シャリフ」を同じくマイアミのスタジオで録音(結果、クラプトンのそれはマイアミ・レゲエ。笑)、このシングルレコードが全米ビルボードチャートで1位になるのが1974年で、KC&ザ・サンシャインバンドが「ファンキーホーン」(Funky Horn)で有名になる前に、同グループのKCが手がけたジョージ・マックレーの「ロック・ユア・ベイビー」が1位になるのも、1974年なんですね〜(ジョージ・マックレーの方がクラプトンより2ヶ月前に1位獲得)。

ちなみに!エリック・クラプトンのマイアミ・レゲエ「アイ・ショット・ザ・シャリフ」のボブ・マーリーカヴァーで一躍有名になったジャマイカとレゲエですが、ジャマイカ出身のミュージッシャンが初めて全米ビルボードチャートで1位を獲得するのもこの1974年で、12月に当時の日本の踊り場でも人気でした、カール・ダグラスの「吠えろ!ドラゴン」。1974年はジャマイカとマイアミの音楽が注目されるようになる、記念すべき年でもあったわけであります。

デビューから2年、KC&ザ・サンシャインバンドが「ゲットダウン・トゥ・ナイト」で全米ビルボードチャートで1位を獲得するのが1975年8月。続いて連続チャート1位に輝き、KC&ザ・サンシャインバンドの名前を不動のものにした、日本でもそれまでの踊り場フリークだけでなく、普通の洋楽ファンにもKC&ザ・サンシャインバンドが認知されるようになった、超有名なメガヒット!「ザッツ・ザ・ウェイ」が11月ですから、日本ではデビューシングルだった(はず。アメリカでは2枚目)「ファンキー・ホーン」(Funky Horn)が、日本で発売されたのは、おそらく1975年の春頃でしょう。

当時の日本の踊り場は、下手なラジオやテレビ、雑誌などより洋楽の輸入は早かったですが、情報も乏しかった時代ゆえ若干アメリカとはタイムラグがあったのは否めないので、日本の踊り場で「ファンキー・ホーン」(Funky Horn)と「ゲットダウン・トゥ・ナイト」が流行ったのは1975年の夏から秋、初冬にかけで、「ザッツ・ザ・ウェイ」は1975年の年末から1976年初冬だったのではないか?と思われます。





勿論、KC&ザ・サンシャインバンドはその後もヒット曲をだしており、日本の踊り場でも「鉄板」の人気バンド、KCの楽曲は踊り場シーンでロングヒットしてましたから、1976~78年や、空前のディスコブームだった80年前後にKC&ザ・サンシャインバンドの、これら楽曲を体験された方も多いと思いますが、実際には1975年の出来事だったわけであります。

まあ、「ファンキー・ホーン」(Funky Horn)が日本の踊り場で人気になった頃、「ファンキーなんとか」「なんとかブギー」と曲名をつけとけば「ナウいに違いない」「カッコいいに違いない」と、踊り場フリークは飛びついてましたから(笑)、全米1位に輝いた曲でもなく、日本ではまだ名もなき新人バンドだったKC&ザ・サンシャインバンドの日本デビュー曲が、正に!「ファンキーなんとか」の「ファンキー・ホーン」(Funky Horn)だったのは、曲名だけでも踊り場シーンで受け入れられるそれだったと、つくずく思います。

更に!シングルレコードのジャケットだけでは、白人黒人混成バンドだと識別する事も、KCなる人物がアフロヘアーの黒人ではなく、長髪真ん中分けの白人である事もしっかり識別するのは難しいショットだったので(イギリスの白人ファンクバンド、アベレージホワイトバンドの「ピック・アップ・ザ・ピーセズ」はイラスト。アメリカの白人ファンクバンド、ワイルド・チェリーの「プレイザット・ファンキー・ミュージック」のジャケットは唇。彼等が白人バンドだなんて、当初は日本では殆どの人は知らなかった)、普通に黒人の当時ヒップだったニューファンクグループの新人ぐらいにしか、当時の日本の踊り場シーンでも思われてなかったと、当サイト運営者は記憶しております。

YouTubeどころか、MTVもない時代。更に時代は空前の和製ふぉーく&アイドル歌手ブームであり、音楽雑誌も洋楽のロック系の雑誌は、ミュージックライフなどちらほらありましたが(出てはすぐ廃刊雑誌もわりとあった)、黒人音楽系や踊り場フリーク用のソレは見当たらなかった(あったとしても誰もが手にとれる環境になかった)、そういう人間はラジオのFENを聴くか?唯一のテレビ情報だった「ソウルトレイン」を観るか?踊り場にいってその手の曲、グループ、シンガーを知る、レコードのライナーを読むしかなかった、思えば大昔のお話しの逸話でございます。

2013年04月17日

KC&ザ・サンシャイン・バンド ディスコパーティー KC & THE SUNSHINE BAND-Do You Wanna Go Party (The Best of KC).wmv





【スマホに安心。タブレットに満足。信頼のバッテリーをお探しなら】


空前のディスコブーム吹き荒れた1980年前後、その最中の1979年、人気絶頂だったKC&ザ・サンシャイン・バンドが放った「ディスコパーティー」(Do You Wanna Go Party)。それなりにディスコで相変わらず人気でしたが、それ以前に比べると勢いが流石に!なかったかなと、、、そんな記憶を持っております、1974年頃から「マイアミサウンドにKCあり!」のKC&ザ・サンシャイン・バンドの、踊り場、ディスコでの連続大ヒットの、多分、こちらは最後になった曲ではなかったか?と記憶しております(その後も活動しておりますし、それなりのディスコヒットはあったとしても)。

まあ、KCが白人なので、コアな黒人音楽好きな方々、黒人R&B、ファンクファンには評価の低いグループですが、メンバーは白人黒人混成バンド。KC&ザ・サンシャイン・バンドが、1970年代前半の踊り場から中盤のディスコへの「誰もが楽しめるファンキーミュージック」の流れを作り、そして空前のディスコブームに突入させた功労者なのは、誰も否定できない史実だと思われます。





2012年12月28日

白人のKCのイメージが強いけど、白人黒人混成バンドだったKC&ザ・サンシャイン・バンド ヴギーマン KC and the Sunshine Band - I'm Your Boogie Man [TopPop].VOB





【意外と知らないIT用語】 ドメインって何? お名前.com

日本では「ファンキー・ホーン」で踊り場で名を馳せ、「ゲット・ダウン・トゥナイト」で一気に踊り場でブレイク、遂に「ザッツ・ザ・ウェイ」で踊り場は勿論、一般ポップチャートでも人気になり世間一般にも、ヒット曲3連ちゃんでKC&ザ・サンシャイン・バンドは有名になったわけで、この後の1970年代末から80年代初頭の空前のディスコブームに、KC&ザ・サンシャイン・バンドは人気絶頂で突入するわけです。

というか、黒人白人混合バンド、マイアミサウンドのKC&ザ・サンシャイン・バンドこそが!当サイト運営者は、踊り場からディスコブームに日本が流れ、そしてビージーズの「サタディナイト・フィーバー」(映画含む)で大ブレイクする牽引車だったと思っております。後世の人達に誤解されてますが、その牽引車ぶりはアース・ウインド&ファイヤーの比ではありません(笑)。



が!アース・ウインド&ファイヤーが空前のディスコブームの最中、クロスオーバーからファンク、そしてディスコサウンドに1970年末期から80年初頭は変貌し、更なる大ブレイクしたのと異なり、踊り場からディスコ、そしてその空前のディスコブーム突入の牽引車であったKC&ザ・サンシャイン・バンドは、アースとは異なり逆に人気は下降して行くわけで、「シェイク・ユア・ブーティ」とこちら「ヴギーマン」( Boogie Man)ぐらいまでの脅威の連続ヒット!、その人気はこのんの曲迄がピークだったのではなかったか?と記憶しております(昨今のダンクライベント、ケントスのライブでもKCはこのへんまでの曲が殆どです)。

「ディスコ・パーティ」あたりも、それなりに人気になっておりましたが、なんとなーくKCへの熱は以前に比べるとディスコフリーク達の間では冷めていたような記憶を、当サイト運営者は持っております(要は飽きられた)。少なくも日本でのKC&ザ・サンシャイン・バンドの人気のピークは「シェイク・ユア・ブーティ」「ヴギーマン」ぐらいまでだったと思っております。





ぴかぴか(新しい)こちらもおススメでするんるん
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。