2013年03月07日

1970年代初頭の踊り場フリークには大人気だったThe JB's - Doing It To Death ドゥイング・イット・トゥ・デス





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1973年発表のJB'sのセカンドアルバム、日本ではデビューアルバムになった「ドゥイング・イット・トゥ・デス」(Doing It to Death)のA面1曲目、タイトル曲。

まあ〜今の若い人にはどうって事はない、当たり前なファンクサウンドなのでしょうが、親分のジェームス・ブラウンの「セックス・マシン」もしかりでしたが、リアルタイム踊り場で、こちら「ドゥイング・イット・トゥ・デス」(Doing It to Death)を聴いた蒼き時、こんな音楽が世の中にあるのかと真剣にカルチャーショックを受けたものでした。

で、ジェームス・ブラウンフリークでも有名な!山下達郎氏がかつて自身のラジオ番組で、ジェームス・ブラウンのレコードを当時人に聴かせて、賞賛の同意を得た事がなかったと述べておりましたが、これは全く!当サイト運営者も同感であり、踊り場で遊んでたとっぽい連中、つっぱり坊やズベ公には抜群の!人気を誇っていた、ジェームス・ブラウン、JB'sでしたが、歌謡史に残り空前の和製ふぉーくブーム吹き荒れる中、大多数の「ふぉーくのコ」や「ロックのコ」に、「最高だぜ!これ」と聴かせても、嘲笑されるか、或いは難しい顔されるかで、賞賛の賛同を受けた事が当サイト運営者も全くなかったです。

というわけで今と違い当時は、踊り場フリークとコアな黒人音楽ファンのみの!熱い支持だったJ.B.'sでしたが、その人気もこちら1973年の「ドゥ・イット・トゥ・デス」(Doing It to Death)から、翌1974年の「Breakin' Bread -as "Fred & the New J.B.'s"」の3枚のアルバム発表迄の、かなり短い期間であり、ぎりぎり!1975年の「Hustle with Speed 」が最後。

1980年前後の空前のディスコブームの頃は、所謂「ディスコサウンド」を皆、好みだし、ジェームス・ブラウンとJ.B.'sのファンクは、必ずしも「ディスコのコ」達に好まれていなかったのが、現実だったと体感、記憶しております。





posted by 麻呂 at 17:19| ジェームスブラウン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月02日

空前のディスコブームに向かってまっしぐらだった頃、ジェームス・ブラウンが放った踊り場ヒット! マイ・サング James Brown - My Thang





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当サイトでも再三触れておりますが、1980年前後の空前の!ディスコブームの頃、ジェームス・ブラウンは非常に影が薄く、他の60年代のR&B、70年代前半のニューソウル、ニューファンク時代、大人気だったシンガー、グループ同様「軒を貸して母屋をとられる」ではないですが、ディスコブームには乗れなかった、いや!むしろジェームス・ブラウンのファンクは、流麗なストリングスにファンクビートだけ!拝借し、歌いやすいメロハモの「ディスコサウンド」を好む、当時のディスコブームの最中の若者達には、実は!好まれていなかった、なんとなーく「はじかれていた」感もあったわけであります。

まあ、こちら1974年に放たれた「マイサング」(My Thang)は、前年の「セクシー・セクシー・セクシー」(Sexy, Sexy, Sexy)同様、踊り場ヒットになった、「リアリティ」(REALITY)と共に、踊り場→ディスコに時代が様変わりする直前とでも申しましょうか、70年代最後の!ジェームス・ブラウンのヒット曲でした(あくまでも踊り場レベル。一般的にジェームス・ブラウンは当時、それほど日本では知られていなかった)。

同じく踊り場ファン(それもファンクファン限定)、コアな黒人音楽ファンには人気だったJ.B.'sのアルバムも、1973年のセカンドアルバム(日本ではデビューアルバム)「Doing It to Death」、そして「マイサング」(My Thang)同様、1974年に発表された「Damn Right I Am Somebody」「Breakin' Bread 」は、その界隈では人気、売り上げもその界隈の話しですが好調でしたが、1975年発表の「Hustle with Speed」あたりから、ジェームス・ブラウン同様、人気は失速しだし、ジェームス・ブラウンもJ.B.'sも、1980年前後の空前の!ディスコブームの頃は、影が薄くなっていたんですね〜。

ジェームス・ブラウンが復活するのは、日本で本当に!有名になるのは、アメリカでは終焉してたディスコブームの後(日本では91年頃の、ジュリアナ東京まで続きますが)、人気映画シリーズ「ロッキー」の1985年の4作目に出演、映画で使われた「リビング・イン・アメリカ」(Living in America)のヒットと、日本のCMに出演し「みそんぱ!」と歌い、1%百万人の視聴率!お茶の間に登場してからでありました。





posted by 麻呂 at 17:24| ジェームスブラウン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月13日

1960年代の曲ながら、70年代中期頃迄の踊り場でも使われてたジェームス・ブラウン アイ・フィール・グッド James Brown - I Feel Good





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日本で初めて!ジェームス・ブラウンをカヴァーしレコーディングに残していたのが、19760年代後半の空前の!グループサウンズブーム全盛期のザ・ゴールデン・カップスだったという事実が、60年代後半のゴーゴーから、70年代初頭の踊り場、ディスコ、そして空前の!1980年前後のディスコブームに繋がる、とっかかりになっているわけで、ジェームス・ブラウンの「パパのニューバック」と「アイ・フィール・グッド」(I Feel Good)を抜きにして、ファンクもディスコもあったものではないわけであります。

ジェームス・ブラウンのニューファンクの完成期は、サポートメンバー達の造反による大幅なメンバー交代が行われた(後に戻され再編しますが)、この後、Pファンクをジョージ・クリントンとやりだす、若きブーティ・コリンズ、キャットフィッシュ・コリンズのコリンズ兄弟等が参加した70年代初頭に起きるわけですが、それ以前のこのへんのファンクの源流である、「アイ・フィール・グッド」(I Feel Good)も素晴らしい。

シュープリームス、テンプテーションズ、フォートップス、ウイルソン・ピケット、サム&デイブ等と共に、ジェームス・ブラウンの「アイ・フィール・グッド」(I Feel Good)も1960年代後半の曲が、70年代初頭から中期ぐらいまで、踊り場で人気のロングヒットだった1曲で(踊り場、コアな黒人音楽ファンの中だけのロングヒットでしたが)、そして空前のディスコブームの頃は、「軒を貸して母屋をとられる」ではないですが、ジェームス・ブラウンも、他R&B勢同様、影が薄くなったのは否めない歴史の事実でありました。








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posted by 麻呂 at 16:19| ジェームスブラウン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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