2016年07月06日

1974年、当時の踊り場だけの小ヒットだった、ジェームス・ブラウンの「リアリティ」。JAMES BROWN Reality









「マイサング」と共に、それ以前から踊り場で使われ人気だった「セックスマシン」や「スーパーバッド」等に比べると、イマイチ踊り場でもそれほど人気ではなかったと記憶しております。1974年のジェームス・ブラウンの「リアリティ」(Reality)。

踊り場でもそれほどでもなかったという事は、一般的には殆ど知られてなかったと思うので、2016年現在、還暦前後から50代の、当時若者だった人達で、踊り場で遊んでたとっぽかった過去をもたない人で、ジェームス・ブラウンの「リアリティ」を知ってる方は殆どいないでしょう。

1970年代後半になって世界的なディスコブームが吹き荒れ、日本でも踊り場=ディスコが一般的に認知されるようになった頃、ジェームス・ブラウンやJB’sって人気が下降してましたし、もっと「ディスコの子」達は当時、所謂「ディスコサウンド」を好んでいたので、彼等のようなこてこてのファンクは、好まれてはいなかったし、ジェームス・ブラウンはディスコブーム期、必ずしもその恩恵は受けていなかったと言えます。

ジェームス・ブラウン人気が復活するのは(アメリカで)、皮肉な事にアメリカでディスコブームが終焉した後の1986年で、人気映画の「ロッキー」の4作目に出演し「リビング・イン・アメリカ」が久々にヒットしてからで、日本で一般的にジェームス・ブラウンが知られるようになったのも、この人気映画シリーズ出演がきっかけだったと、当サイト運営者は記憶しております。



で、ジェームス・ブラウンが日本で今のように一般的に広く知られるようになる決定的なそれは、1992年に日清のカップ麺のテレビCMに登場してからで、実はかーなり後なんですね。

「セックス・マシン」をパロったこのCMに、よくジェームス・ブラウンが出演OKしたなーとも思いますし、また、この企画を最初に提案した方は、凄いなーと思いましたが、おそらく多分、映画「ロッキー」に出演したジェームス・ブラウンをCM制作関係者の誰かが観たのではないか?と、当サイト運営者は思っております。

というわけで1974年、当時は踊り場で踊ってた連中ぐらいしか知らんかったと思う、当時の踊り場での小ヒット、ジェームス・ブラウンの「リアリティ」を紹介いたしました。





posted by 麻呂 at 02:30| ジェームスブラウン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月17日

ジェームス・ブラウン 「パパのニューバック」(Papa's Got A Brand New Bag)



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こちらのサイトで再三再四ほざいてるように、案外、空前のディスコブームが吹き荒れてた1980年前後は、ジェームス・ブラウンはじめ、それ以前のシーンで活躍してたシンガー、グループはその恩恵をうけておらず、まあ、言葉は悪いですが「軒を貸して母屋をとられる」みたいな所が、あのディスコブームにはなきにしもあらずだったわけですが、70年代前半でも「セックスマシン」や「スーパーバッド」、ライブアットアポロのながーい音源などは頻繁に使われておりましたが、こちら「パパのニューバック」(Papa's Got A Brand New Bag)は、あまり使われていた記憶は、当サイト運営者はありません。

まあ「アイ・フィール・グッド」同様、こちらは60年代ものファンク、というかファンクの元祖とも言える曲ですし、日本でジェームス・ブラウンの曲を初めてレコードにしたのは、グループサウンズブームの頃の横浜のザ・ゴールデン・カップスの「アイ・フィール・グッド」なのは間違いない所ですし、60年代後半のゴーゴークラブでは、「アイ・フィール・グッド」とともに「パパのニューバック」(Papa's Got A Brand New Bag)は使われていたと、耳にした事が何度かありますし、当サイト運営者も何度か70年代初頭にこの曲が、当時の踊り場で使われたのを経験しておりますが、その頻度は「セックスマシン」や「スーパーバッド」、ライブアットアポロのながーい音源に比べると、微々たるもんだった印象があります。

で、こちらの映像&音源、「パパのニューバック」(Papa's Got A Brand New Bag)から、こちらは70年代初頭の踊り場でもよく使われていた、♪へいへい あいふぃーるおーるらいと あっ! の「アイ・フィールオールライト」に繋がる所は流石に圧巻ですね〜。しびれます。

posted by 麻呂 at 18:26| ジェームスブラウン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月04日

ソウルトレイン出演時のジェームス・ブラウンとJB’s





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今でこそ若いプレイヤーサイド、或いは若いクラブ系のサウンドや踊りが好きな方々にはファンク、16ビート(ファンクビート)という音楽は、あまりに当たり前な音楽ですが、1970年代初頭の頃は、特に日本では相当!異質な音楽でした。

当時、アメリカでは大旋風を巻き起こしてたニューソウル、ニューファンクも、日本では後世に伝わるほどウケておらず、60年代後半のR&Bがそうであったように、まだまだ一部のコアな音楽通(プレイヤーサイド含め)、そして踊り場に屯ってた不良達にのみ支持されてた音楽だったのが本当であります。

試しに、もしこのサイトをみてる若い層(20~30代前半)の方おりましたら、皆さんのパパママに1970年前半の音楽の想い出を聞いてみるとよいですね。ジェームス・ブラウンやファンクが出てくる事は、まーず!ないですから。

又、当時の踊り場に出入りしてた女のコも又、相当!気合いの入ったズベ公は別にして(笑)多くは後世で伝わるほどファンクは好んでおらず、彼女達はもっとソフトでポップなモータウンやフィリーソウルを好んでおり、特にジェームス・ブラウンやJB’sがかかると、だいたいフロアから女のコの姿は消え、彼女達は「壁の花」になり、アイビーやヤンキー(後世に伝わるヤンキーとは異なる)、コンポラのあんちゃん等のだいたい独壇場になっておりました(特に!スーパーバッドはステップも激しく難しかったから)。

まあ、巨匠!山下達郎氏が当時のジェームス・ブラウンは正に不良のアイドル、不良に好まれた音楽で、彼の初来日時、肩まで髪の毛を伸ばしてたのは自分だけで、あとは周りみんなリーゼントだったとラジオで述べてた事がありましたが、それがリアルタイム経験者の正直な感想だと思います。

踊り場からディスコと名前が確立しだすのは、ゴーゴーが踊り場になった頃のように、人によって証言は異なると思いますが、だいたい1974~75年頃、、、マイアミのKC&ザ・サンシャインバンドが登場してきた頃からだと当サイト運営者は記憶しておりますが、それでも!まだ!薄らいだとはいえ不良色はとても!強い場でした。

映画「サタディナイトフィーバー」が日本でも大当たりして、初めて!ディスコは市民権を得るわけで、空前のディスコブームが日本でも巻き起こったのは1980年前後。

そしてジェームス・ブラウンとJB’sはこの大ブームの頃、実は冬の時代で、当時のディスコフリークに好まれるようなヒット曲は出してないんですね。この当時の「ディスコのコ」は皆、本当はビージーズとかアバとかなんですよ。あと「ジンギスカン」とか「ハローミスターモンキー」とかね。

だから踊り場やディスコの当時の 想い出話し をしても、案外、話しや好みや想い出が合わない経験のある人、多いと思いますし、又、そのへんダンクライベントのDJさん達も頭の痛い所ですね。

ビージーズやアバやビレッジピープル、「ジンギスカン」や「ハローミスターモンキー」かけて楽しんでる客層に、ジェームス・ブラウンやPファンクかけてもシラけるだけだし、かといってそういう音楽ばかり使ってると、ファンク好きには嫌な顔されたりバカにされたりなめられる(笑)。

まあ、間とってアースとかマイケル・ジャクソンが一番無難でしょうね、、、。

ほんと、、、ダンクライベントのDJも楽じゃない、、、。



posted by 麻呂 at 10:57| ジェームスブラウン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
ぴかぴか(新しい)こちらもおススメでするんるん