2015年01月25日

天使のささやきの大ヒット後の、スリーディグリーズの「愛はメッセージ」(Love Is The Message)









こちら1974年末に発表された「愛のメッセージ」(Love Is The Message)は、スリーディグリーズご本人達が登場したシャープのステレオ、オプトニカのCMにも起用さえ、お茶の間でがんがん流されいたので、全く音楽に興味のない人達、興味があってもR&B、ソウル、ファンクを全く知らない人達(当時はとても多かったし、それが普通だった)でも、TVのブラウン管を通して、スリーディグリーズと「愛のメッセージ」(Love Is The Message)を目にし耳にしておりました。

今も昔もTV、地上波の影響力というのは絶大なものがあるので、おそらく日本で最初に「お茶の間」で多くの日本人に認知された黒人コーラスグループは、スリー・ディグリーズだったと、当サイト運営者は思っております。



当サイト運営者も後から知りましたが、アカデミー賞受賞作品「フレンチコネクション」(1971年度作品。日本公開は72年)に、ブレイク前のスリー・ディグリーズはクラブ歌手として出演しておりましたが、スリーディグリーズがまず日本でその名を轟かせたのは、当時は未だ未だアンダーグラウンドだった踊り場で、アメリカでは必ずしもヒットしなかった「荒野のならず者」がヒットした1974年春から夏にかけて。

この時点では、未だ当時はアンダーグラウンドの踊り場の狭い世界でのムーブメントだったわけですが、次の「ソウルトレインのテーマ」が全米ビルボードチャートで1位になり、アメリカでも大ブレイクした事で、当時日本に沢山いた全米ビルボードマニアの目と耳にスリーディグリーズも、フィラデルフィアサウンドの要の楽団MFSBもとまります。

それでも!今や若いR&B、ソウル、ファンクファンには「名盤」と位置ずけられてる当時の他のニューソウル、ニューファンクもしかりでしたが、アメリカと違い、実はリアルタイム当時ニューソウル、ニューファンクはそれほど若者達に支持されておらず(それ以前のR&Bしかり)、「ソウルトレインのテーマ」も、それほど日本では売れませんでした(踊り場では大人気でしたが)。

なんたって当時の日本は、歌謡史に残る空前の!和製ふぉーくブームの渦中であり、彼等を取り上げた音楽雑誌も売れまくっていたので、普通の若者達は皆、吉田拓郎氏や井上陽水氏、かぐや姫等に靡いて(ある種、神のごとく!崇拝していた)、洋楽ファンもポップスやロックは好んでいても、殆どR&B、ニューソウル、ニューファンクは知らなかったのが実態でしたから。

で、この状況が一変するのが1974年秋、次に出された「天使のささやき」が日本の第3回東京音楽祭で金賞を受賞。

引き続き踊り場でも「天使のささやき」は大ブレイクしましたが(アメリカでも大ヒット)、一般的に日本では、この金賞受賞によってスリーディグリーズの知名度はあがり、「天使のささやき」は日本語ヴァージョンも発売。日本のTVの歌謡芸能番組にもスリーディグリーズは登場。そして同年末に発売された、こちら「愛のメッセージ」(Love Is The Message)はCMにも起用される事になり、スリーディグリーズはお茶の間でもお馴染みになり、老若男女問わず!その存在を知られるようになりました。

正に!スリーディグリーズの日本での人気はこの時期、最高潮で、それまで白人シンガー、白人グループで、こういうムーブメントは日本でも起きた事はありますが、肌の色が黒いシンガー、グループが、これほど!一般的に日本のお茶の間、歌謡芸能の世界で人気者になったのは、過去になかったと、当サイト運営者は思っております。





が、皮肉な事に踊り場でスリーディグリーズの曲が抜群の人気を誇っていたのは、この1975年初頭ぐらいまでで、続く日本の筒美京平氏作曲、ティン・パン・アレイの演奏の和製フィラデルフィアサウンドの「ミッドナイトトレイン」、日本語歌詞の「苦い涙」は、話題性もあり、一般的にはかなり注目されておりましたが、この2曲が当時、踊り場で人気だった記憶が、当サイト運営者は全くありません。

個人的感想ですが、当時の踊り場で遊んでた若者達(子供も)は、ある種の「特権意識」がなきにしもあらずで、周りが知らないブラックミュージックを自分達だけは知ってる。自分達が音楽もファッションも遊びも最先端をいってるという自負が、かなりあったので(実際そうだったとも思います)、お茶の間の人気者になり誰もが知ってるスリーディグリーズは、ちょっと彼等彼女等に引かれたような気がします。

又、スリーディグリーズに限らず、MFSBの大オーケストラを従えヒット曲を連発、一世を風靡したフィラデルフィアサウンド(フィリーソウル)の、今もダンクライベントで使われる「名曲」達は1975年頃までがピークで、かわってマイアミのKC&ザ・サンシャインバンドの「ゲットダウン・トゥナイト」「ザッツ・ザ・ウエイ」が踊り場でこの頃は大人気になり、当時の音楽もファッションも遊びも、自分達が最先端をいってるという自負のあった踊り場の若者達(子供も)は、良くも悪くも「新しもの」好き、、、。

わりとその世界では伝説的に語られる当時の踊り場が、実はけっこう最盛期の寿命はどの店も短かった原因も、このへんの、当時の踊り場で遊んでた連中の「気質」が原因で、スリーディグリーズの曲は1975年当時も踊り場、ディスコでは使われておりましたが、1974年頃の勢い、支持は失われつつあったような記憶が、当サイト運営者はあります(他フィリーソウルも)。

「新しもの」好き達にとって、当時のフィラデルフィアサウンド、フィリーソウルは、もはや「新しくなくなった」わけです、、、。ファッションがアイビーが廃れコンチが流行りだしたのと、感覚は似てるかも、、、。お店も「話題」(と言ってもあくまでも口コミ)のナウい「新しい店」に、どんどん流れ、口コミで「終った」もはや「ださい店」には、踊り場通いの若者達は、とても冷淡でしたし(汗)。

昨今のダンクライベントでも、スリーディグリーズと言えば「荒野のならず者」「天使のささやき」が定番になっておりますが、この2曲に、にこちら「愛のメッセージ」(Love Is The Message)と「幸せの季節」2曲を加えた4曲が、1974年当時、踊り場で抜群の人気を誇っていた頃の、スリーディグリーズの代表曲でした。

posted by 麻呂 at 00:09| スリーディグリーズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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