2015年01月04日

ソウルトレイン出演時のジェームス・ブラウンとJB’s





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今でこそ若いプレイヤーサイド、或いは若いクラブ系のサウンドや踊りが好きな方々にはファンク、16ビート(ファンクビート)という音楽は、あまりに当たり前な音楽ですが、1970年代初頭の頃は、特に日本では相当!異質な音楽でした。

当時、アメリカでは大旋風を巻き起こしてたニューソウル、ニューファンクも、日本では後世に伝わるほどウケておらず、60年代後半のR&Bがそうであったように、まだまだ一部のコアな音楽通(プレイヤーサイド含め)、そして踊り場に屯ってた不良達にのみ支持されてた音楽だったのが本当であります。

試しに、もしこのサイトをみてる若い層(20~30代前半)の方おりましたら、皆さんのパパママに1970年前半の音楽の想い出を聞いてみるとよいですね。ジェームス・ブラウンやファンクが出てくる事は、まーず!ないですから。

又、当時の踊り場に出入りしてた女のコも又、相当!気合いの入ったズベ公は別にして(笑)多くは後世で伝わるほどファンクは好んでおらず、彼女達はもっとソフトでポップなモータウンやフィリーソウルを好んでおり、特にジェームス・ブラウンやJB’sがかかると、だいたいフロアから女のコの姿は消え、彼女達は「壁の花」になり、アイビーやヤンキー(後世に伝わるヤンキーとは異なる)、コンポラのあんちゃん等のだいたい独壇場になっておりました(特に!スーパーバッドはステップも激しく難しかったから)。

まあ、巨匠!山下達郎氏が当時のジェームス・ブラウンは正に不良のアイドル、不良に好まれた音楽で、彼の初来日時、肩まで髪の毛を伸ばしてたのは自分だけで、あとは周りみんなリーゼントだったとラジオで述べてた事がありましたが、それがリアルタイム経験者の正直な感想だと思います。

踊り場からディスコと名前が確立しだすのは、ゴーゴーが踊り場になった頃のように、人によって証言は異なると思いますが、だいたい1974~75年頃、、、マイアミのKC&ザ・サンシャインバンドが登場してきた頃からだと当サイト運営者は記憶しておりますが、それでも!まだ!薄らいだとはいえ不良色はとても!強い場でした。

映画「サタディナイトフィーバー」が日本でも大当たりして、初めて!ディスコは市民権を得るわけで、空前のディスコブームが日本でも巻き起こったのは1980年前後。

そしてジェームス・ブラウンとJB’sはこの大ブームの頃、実は冬の時代で、当時のディスコフリークに好まれるようなヒット曲は出してないんですね。この当時の「ディスコのコ」は皆、本当はビージーズとかアバとかなんですよ。あと「ジンギスカン」とか「ハローミスターモンキー」とかね。

だから踊り場やディスコの当時の 想い出話し をしても、案外、話しや好みや想い出が合わない経験のある人、多いと思いますし、又、そのへんダンクライベントのDJさん達も頭の痛い所ですね。

ビージーズやアバやビレッジピープル、「ジンギスカン」や「ハローミスターモンキー」かけて楽しんでる客層に、ジェームス・ブラウンやPファンクかけてもシラけるだけだし、かといってそういう音楽ばかり使ってると、ファンク好きには嫌な顔されたりバカにされたりなめられる(笑)。

まあ、間とってアースとかマイケル・ジャクソンが一番無難でしょうね、、、。

ほんと、、、ダンクライベントのDJも楽じゃない、、、。



posted by 麻呂 at 10:57| ジェームスブラウン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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